ヒョウドウカイ(44歳・冷凍倉庫の作業員22年)
夏になると、冷凍倉庫の求人が増える。窓の外には蝉の声が降り注ぎ、駐車場のアスファルトは陽炎で揺れていた。アイスや冷凍食品の出荷が一年でいちばん伸びる季節だから、人が要る。事務所のガラス戸に、新しい貼り紙が出る。時給と、勤務時間と、「未経験歓迎」の文字。その下に小さく「防寒着貸与」と書いてある。
応募してくる人の多くが、同じことを言う。「夏でも涼しそうだと思って」。気持ちは分かる。外が三十五度の日に、マイナス二十五度の場所で働けるなら、それは天国のように聞こえるのだろう。けれど涼しいと痛いは違う。マイナス二十五度は涼しいではない。痛いだ。庫内に入って五分で、その人の顔から「涼しそう」が抜けていく。鼻の奥がつんとして、指の感覚が鈍りはじめる。涼を求めて来た人ほど、その落差に早くやられる。
新人に防寒着の着方を教えるのは、たいてい私の役回りだ。下から着る、汗を逃がす薄いインナー、その上に中綿、いちばん外に作業着。順番が逆だと汗が中綿に溜まって、後で凍る。手袋は薄い内側をはめ、指を一度握って馴染ませてから、分厚い外側をかぶせる。私はそれを、二十二年の間に何百回となく繰り返してきた。教えながら、この人は何日もつだろうか、と心のどこかで数えている自分がいる。
辞める人の判断は、驚くほど早い。初日の昼で帰ってしまう人がいる。一週間もたない人がいる。誰も責められない。向き不向きは、根性の問題ではないからだ。寒さは、ごまかしが利かない。痛いものは痛い。だから、合わないと感じた人がすぐに離れていくのは、ある意味で正直な反応なのだと思う。残った長靴の数を朝に数えて、ああ、また一人減ったか、と分かる日がある。
不思議なのは、夏のアイスの出荷の山だ。出荷のピークには、パレットがいくつも積み上がって、フォークリフトがひっきりなしに動く。汗をかかない労働、というものがこの世にはある。外で同じ量の荷を動かせば全身ずぶ濡れになるのに、庫内では汗ひとつ出ない。出た先から凍るからだ。外仕事の友人にこれを説明しても、なかなか信じてもらえない。「働いて汗をかかないなんて嘘だろう」と笑われる。
休憩室で、新人と話すことがある。指先がじんと痛むのを温めながら、ぽつりと聞いてくる。「これ、何年やってるんですか」。私が「二十二年」と答えると、たいてい、相手の顔が一瞬止まる。信じられない、というよりは、こんな場所で二十二年という時間が想像できない、という顔だ。その顔を、私は何度も見てきた。
では、なぜか残る人には、共通点があるのだろうか。私はそれを二十二年分、見てきたつもりだ。残る人は、寒さに強い人ではない。意外なことに、段取りを面白がる人だ。防寒着の着る順番、手袋を馴染ませる握り、フォークリフトのハンドルを握る最短の時間——そういう細かな手順を、面倒だと思わずに、ひとつのパズルのように楽しめる人。そういう人が、気づけば何年も残っている。残る人は、段取りを面白がる人なのだ。
人手不足は、この業界の長年の課題だと言われている。たしかに、夏の貼り紙はいつまでも貼られたままだ。けれど、ただ人が足りないと嘆くだけでは何も変わらないのかもしれない。本当に必要なのは、向いている人に、向いている仕事の面白さを、きちんと伝えることなのだと思う。涼しさではなく、段取りの面白さを。
夏の貼り紙は、来年もまた出るだろう。そして「涼しそう」で来た人の多くは去り、段取りを面白がる誰かが、また一人だけ残る。私はその人に、防寒着の着方を教える。下から着る、汗を逃がす薄いインナーから。何度でも、最初から。それが私の、二十二年だった。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。