マイナス25度の、八時間
冷凍倉庫一年目、寒さの段取りを覚えた日

ヒョウドウカイ(44歳・冷凍倉庫の作業員22年)

二〇〇四年、二十二歳のときに、冷凍倉庫の会社に入った。庫内はマイナス二十五度。人が八時間いられる場所ではない、と最初は思った。けれど人はそこにいる。私は二十二年、そこにいた。寒さに勝つのではなく、寒さと折り合う方法を、その年に教わった。

入った日、先輩に言われた言葉をいまでも覚えている。「寒さに強くなろうとするな。寒さの段取りを覚えろ」。根性ではなく手順なのだ、と。防寒着には着る順番がある。インナー、中綿、その上に作業着。手袋は二重で、薄い内側を先にはめてから、分厚い外側をかぶせる。順番を間違えると、たったそれだけで指がかじかんで動かなくなる。

金属には素手で触るな、と繰り返し言われた。マイナス二十五度の鉄は、触れた皮膚をそのまま持っていく。フォークリフトのハンドルも金属だから、握ると手袋越しでも冷たさが芯まで届く。それでも握らなければ仕事にならない。だから握り方を覚える。寒さの中での所作は、すべて段取りでできている。

庫内は、静かだった。冷気は音を吸う、と先輩は言った。本当かどうかは分からないけれど、外の世界より明らかに音が少ない。フォークリフトのモーターの音も、どこか遠くで鳴っているように聞こえた。白い息が、静寂の中に消えていった。その静けさの中で、自分の呼吸だけが大きく感じられた。

長くいると、睫毛に霜が付く。吐いた息が顔のまわりで凍り、まばたきのたびに睫毛がわずかに重くなる。指で触ると、細かい氷がぱらりと落ちる。連続作業には上限の時間が決められていて、それを過ぎると休憩室に戻る。体を壊さないための決まりだ。寒さは我慢比べではなく、時間の管理なのだと、そのとき分かった気がした。

古い在庫は、霜の付き方で分かる。パレットの上に長く置かれた荷ほど、霜が厚く、白く、層になっている。木の年輪のように、そこにいた時間が霜になって積もる。新しく入った荷は、まだ霜が薄い。私は荷を見る前に、霜を見るようになった。霜は、時間の記録だった。

夏になると、搬出口で不思議な数分が訪れる。庫内から運び出した荷を、外で待つトラックに積む。外は三十五度。運転手は半袖で、額に汗を浮かべている。その隣に、防寒着を着たままの私が立つ。搬出口にはエアカーテンがあって、内と外の空気を仕切っている。その境目の、ほんの数分。二つの季節が、一枚の薄い空気の壁を挟んで並んでいた。

休憩室の温度計は、いつも二十度を少し超えていた。庫内との差は五十度近い。その往復を一日に何度も繰り返す。体は正直で、戻るたびに指先がじんと痛んで、それから温かさを思い出す。痛みのあとに来る温かさを、私はたぶん、外の人より少しだけ深く知っている。

あれから二十二年。私はずっと、温度の境目に立つ仕事をしてきた。マイナス二十五度の静けさと、三十五度の搬出口。その境目を毎日またいでいるうちに、私はいつのまにか、温度の境目の観察者になっていた。あの一年目の八時間が、寒さの段取りを教えてくれたあの日が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今日も搬出口の空気は、二つの季節に分かれている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。