イチハラダン(55歳・ガラス屋33年)
冬になると、相談が増える。窓ガラスの相談ではない。窓ガラスに付く水の相談だ。「朝、窓が水びたしで困っている」「サッシの下に雑巾を置いている」「カーテンの裾が黒くなった」。電話の声は、たいてい少し怒っている。窓が悪いことをしている、と思っているからだ。冷たい雨が窓を打つ季節になると、その電話が鳴り始める。
結露というのは、要するに空気の中の水が、冷たいところで戻ってくる現象だ。あたたかい空気は水をたくさん抱えていられる。それが冷たいものに触れると、抱えきれなくなった水を手放す。冷たいコップの外側に水が付くのと同じだ。家の中でいちばん冷たいのは、たいてい窓ガラスだ。外気にいちばん近いからだ。だから水は、いちばん冷たい場所に集まる。ガラスが悪いのではない。ガラスはただ、家の中でいちばん冷えているだけなのだ。水は、いちばん冷たい場所を選んで戻ってくる。
俺にできることは、ある。一枚ガラスを、ペアガラスに替える。二枚のガラスのあいだに乾いた空気の層を挟んだやつだ。中空層、と呼ぶ。あいだの空気が断熱の役をして、室内側のガラスが冷えにくくなる。冷えなければ、水は戻ってこない。あるいは、いまの窓の内側にもう一つ窓を足す。内窓だ。窓と窓のあいだに空気の部屋ができて、内側の窓が冷たくならない。どちらも、効く。たしかに効く。
だが、ここからが難しい。ペアガラスを売れば、俺は儲かる。内窓を足せば、もっと儲かる。見積もりは何万円にもなる。けれど、その家の結露が、本当にガラスのせいかどうかは、別の話なのだ。家の中の湿気そのものが多すぎる家がある。洗濯物を部屋干しして、加湿器を回して、換気扇を止めている。そういう家は、ガラスをいくら替えても、こんどは別の冷たい場所に水が出る。壁の隅、押し入れの奥。湿気は、行き場を探すだけなのだ。換気で直る家に、俺は窓を売らない。売らないこともまた、ガラス屋の仕事なのだと思う。
北側の部屋の相談も多い。「壁にカビが出た」と。北側は陽が入らないから、一日じゅう冷えている。冷えた壁に、家じゅうの湿気が流れてきて、そこで戻る。窓を替えてくれ、と言われる。だが、その部屋の窓を替えても、カビは止まらないことが多い。カビは壁に出ているのであって、窓に出ているのではない。冷たく湿った場所は、窓だけではないのだ。俺はそこで、口ごもる。
サッシ枠の結露も、よく誤解される。「ガラスじゃなくて、枠のところがびっしょりなんです」。これはガラスを替えても直らない。古いアルミのサッシは、それ自体がよく冷える。アルミは熱をすいすい通すからだ。ガラスをどれだけ良くしても、枠が冷えていれば、枠に水が付く。枠ごと替えれば直るが、それは大ごとになる。窓まわりというのは、ガラスだけでできているわけではない。
だから、見積もりだけ取って帰る客がいる。何軒も呼んで、見積もりを並べて、結局なにもしない。同業者はそれを嫌うが、俺は半分、正しいと思っている。彼らの半分は、たぶん換気で直る家なのだ。窓を替えなくていい家に、窓を売らずに済んだ。それでいい。見積もりの紙が一枚、無駄になっただけだ。その紙の値段くらい、俺が黙って飲めばいい。
いちばん見たくないのは、結露で腐った窓枠の交換だ。何年も水が溜まり続けた木の枠は、指で押すとぐずりと沈む。表面の塗装の下で、木がもう繊維だけになっている。剥がすと、黒い水の跡が年輪のように層になって見える。今年の冬、去年の冬、その前の冬。毎朝の水が、少しずつ木を食べていった跡だ。窓は何も言わないが、枠は、何年分もの朝をぜんぶ覚えている。冷たい雨の朝が、一枚ずつ、ここに積もっていたのだ。
三十三年やってきて、思う。ガラス屋にできることは、案外少ない。冷たい場所を、少し温かくすること。それだけだ。家の空気そのものは、住む人が窓を開けるかどうかにかかっている。俺は水の集まる場所を直すが、水そのものを減らすことはできない。だから今日も、相談の電話に、まず換気の話からする。それで帰ることになっても、それでいい。売らないことも、ガラス屋の仕事なのだ。窓は、悪くない。ただ、いちばん冷たい場所にいるだけなのだ。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。