相方の、呼吸(第二稿)
二人で交互に打つということ

イコマナツメ(33歳・リアルタイム字幕の入力者11年)

生放送の言葉を、数秒遅れで文字にしている。一人の指では受け止めきれない速さがあるから、私たちは二人で組み、交互に打つ。一人が打つあいだ、もう一人は次の出番を、画面ではなく相方の手の速さで計っている。十一年、私はほとんど同じ一人と組んできた。

渡すのは、文節の切れ目だ。文の途中では渡さない。私と相方では辞書が違うからだ。同じ「ふじさわ」でも、私の登録は「藤澤」、相方は「藤沢」。一文の前半を私が、後半を相方が打てば、画面の中で同じ人物が二つの苗字に割れる。だから「きょうの試合は――」までを私が置き、話者が一呼吸つく谷で指を引く。「――前半から動きました」を相方が引き取る。渡すのは、文と文の継ぎ目ではなく、話者の息継ぎのほうだ。

話者が変わるたび、半拍の谷ができる。司会が振り、コメンテーターが答える、その間。そこで私は指を引く。引いた手が宙で止まる前に、相方の指が画面に文字を置く。私が引かなければ、相方は出ない。相方が出れば、私は次の谷まで黙る。決めると言葉にするほどの間はない。空いたほうの指が、先に動く。それだけだ。

サッカー中継は、相方が前に出る。彼は外国人選手のカタカナを目をつぶって打てる。私は政治の固有名詞は得意だが、横文字の選手名で半拍ずれる。国会中継なら、逆だ。私が役職名を取り、彼が後ろに回る。番組ごとに、前に出る側が入れ替わる。誰が前かは放送前に決めない。資料を二人で読んだ時点で、どちらの指が速いかが、もう分かっている。

相方が誤変換を流したとき、直すのは相方ではない。次に控えている私だ。打った本人は、もう次の言葉を追っている。誰のミスかを確かめている半拍で、字幕は一行ぶん流れていく。だから控えの側が、次の行に正しい表記を静かに置く。「訂正します」とは書かない。誰が間違えたかも、口に出さない。責める時間がないのではない。責めるための半拍を、私たちは一度も持ったことがない。

三時間の中継は、交代の表を先に引く。私は十五分も全力で打てば、固有名詞から先に取りこぼし始める。相方も同じだ。だから波の山と谷を、二人ぶんずらして重ねる。私の精度が落ちる十二分めに、相方が乗っている。相方が落ちる頃、私は水を一口飲んで戻っている。山を、互い違いに並べる。

新人と組む日は、表をこっそり七対三に倒す。新人にはまだ、自分がいつ落ちるかが分からない。固有名詞も取りこぼす。だから私が三のぶんを引き受けて、新人には「いつも通りでいい」と言う。いつも通りではない。だが本当のことを言えば、新人は自分の三を数え始めて、もっと取りこぼす。倒した配分は、終わるまで黙っている。

本番中、私たちは声を出さない。耳は放送の音でふさがっている。だからチャット欄に、短い言葉だけを置く。「次もらう」「固有名詞きた」。先週、長丁場の三時間めだった。相方の肩が、半分だけ落ちた。私はチャットに「あと十分、私が持つ」と打ち、次の谷で指を引かなかった。相方の指が宙で止まり、私のが続いた。十分後、肩が戻った。声は一度も出していない。

——補記:この第二稿は、第一稿への辛口レビューを経て書き直したものです。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。