イコマナツメ(33歳・リアルタイム字幕の入力者11年)
生放送の言葉を文字にする仕事をしている。テレビの下に流れる字幕は、誰かがどこかで打っている。その誰かが、私だ。耳で聞いて、頭で削って、指で叩いて、画面に出るまで、どんなに速くても四秒。話者はその四秒を待ってくれない。
使うのは速記用のキーボードだ。一つずつ押すのではなく、ピアノの和音のように複数のキーを同時に押して、音のかたまりを一打で入れる。「ありがとうございます」を一文字ずつ打っていたら、話者はもう次にいる。手が和音を覚えた日のことは覚えている。研修四ヶ月目、初めて生放送と同じ速さのニュース原稿に指が追いつき、画面の言葉と話者の口が、初めてぴたりと重なった。
一人では追いつかない。私たちは二人で組み、入力を分担する。一人が打っているあいだ、もう一人は相方の息継ぎを画面ではなく呼吸で計っていて、力尽きる半拍前に言葉を引き取る。文の途中で、言葉が手から手へ渡る。
入って間もない頃、私は全部を打とうとしていた。「えー」も「あのー」も、言い直しも。当然追いつかず、未入力の行が頭の中で溜まっていった。あるニュースの最中、溜まった分を取り戻せず、私は画面に出る前の二行を、まとめて捨てた。指で、消した。話者は「えー、つまりですね」と言っていた。捨てても、画面の意味は欠けなかった。
そのとき先輩に言われた。「全部打とうとするな。意味を落とすな。言葉を間引いても、意味は間引くな」。「えー」は言葉だが、意味ではない。捨ててよい。事実は言葉でも意味でもあるから、一字も落とせない。その線引きが、指の判断になるまでに何年もかかった。
固有名詞は、音から推測できない。だから放送前に、進行表と出演者名簿とテーマの資料を何時間も頭に入れる。予習が命綱だ。それでも取りこぼす。サッカー中継で、予習したはずの相手チームの選手名が飛んできて、和音が半拍ずれた。「ジエゴ」が「自衛」と画面に出た。固有名詞が一般名詞に化けて流れていく。誤変換は、出してしまえば取り消せない。だから次の行で、正しい綴りをもう一度、静かに置く。「訂正します」とは書かない。読む人の流れを止めないことが、訂正の作法だ。
バラエティの仕事で、私は画面の向こうの一秒を知った。スタジオがどっと笑う。その笑いの理由を、聞こえない人は字幕で読む。読んでから、笑う。つまり一秒、遅れて笑う。私の手の四秒に、回線と読む時間が足されて、その人の笑いはみんなより遅れて起きる。私は四秒を一秒でも縮めたくて、いまも和音を叩いている。間に合わせたい人が、画面の向こうにいるからだ。
十一年で、間引いた言葉は数え切れない。ひとつも覚えていない。覚えているのは、捨てなかった言葉のほうだ。「えー、つまりですね」を捨てたあの日と、「自衛」と出してしまって直した、相手チームの十番の名前。