一秒遅れの、言葉
字幕入力一年目、言葉と意味のあいだに立った日

イコマナツメ(33歳・リアルタイム字幕の入力者11年)

生放送の言葉を、数秒遅れで文字にする仕事をしている。テレビの画面の下に流れるあの字幕を、誰かがどこかで打っている。その誰かが、私だ。話している人の声は止まらない。だから私の指も止まらない。十一年、止めずにきた。言葉と意味のあいだに架けられた一本の橋を、私は渡り続けてきたのだと思う。

使うのは、ふつうのキーボードではない。速記用の特殊なキーボードで、一つのキーではなく、ピアノの和音のように複数のキーを同時に押して、音のかたまりを一気に入力する。「ありがとうございます」を一文字ずつ打っていたら、話者はもう次の話題に移っている。だから音節をまとめて叩く。指が覚えるまでに、半年以上かかったと思う。

それでも、一人では生放送に追いつけない。私たちは複数人で組んで、入力を分担する。一人が前半を打ち、息継ぎの隙に交代して、もう一人が後半を引き取る。隣の人がどこで力尽きるかを、画面を見ずに気配で察して、私が言葉を受け取る。リレーのバトンのように、文の途中で言葉が手渡されていく。

入って間もない頃、私は全部を打とうとしていた。「えー」も「あのー」も、言い直しも、笑い声まで。話者の口から出たものを、一つ残らず文字にするのが誠実だと思っていた。当然、追いつかない。字幕は遅れ、遅れた分だけ溜まり、溜まった分だけ画面の言葉と話者の口がずれていく。

そのとき先輩に言われた。「全部打とうとするな。意味を落とすな。言葉を間引いても、意味は間引くな」。最初、その意味がよく分からなかった。言葉を間引くというのは、つまり省くということだ。省いたら、それはもう正確ではないのではないか。でも先輩は、正確さと誠実さは違う、と言いたかったのだと思う。「えー」を全部拾うことは、正確かもしれないが、誠実ではない。読む人の時間を奪うからだ。

難しいのは、固有名詞だった。人の名前、専門用語、聞いたことのない地名。これらは音から推測できない。だから事前の予習が命綱になる。番組の進行表、出演者の名簿、扱うテーマの資料を、放送前に何時間もかけて頭に入れる。スポーツ中継は特にそうで、選手の名前が固有名詞の嵐のように飛んでくる。予習していない名前が一つ出ただけで、指が一瞬、宙で止まる。その一瞬が、致命傷になる。

それでも、間違いは出る。誤変換は出てしまう。「市政」と打つべきところを「施政」と出してしまう。出してしまった字幕は、もう画面に流れている。取り消せない。だから訂正する。次の行で、さりげなく、正しい言葉をもう一度置く。大げさに「訂正します」とは書かない。読む人の流れを止めないように、静かに直す。間違いの直し方にも、作法がある。

ニュース速報のときの、あの緊張は忘れられない。テロップが入る。原稿はまだ整っていない。それでも事実は、いま、伝えなければならない。指が震えそうになるのを抑えて、一文字ずつ、確実に置いていく。このとき私は、画面の向こうにいる誰かのことを思う。音が聞こえない人が、私の字幕だけを頼りに、いま何が起きているかを知ろうとしている。私の一秒の遅れは、その人にとっての一秒の遅れなのだ。バラエティ番組で、みんなが笑った一秒後に、字幕を読んでようやく笑える人がいる。その一秒を、私はずっと背負ってきたのかもしれない。

あれから十一年。私はいつのまにか、言葉を聞くと同時に意味を量る人間になった。何を残し、何を間引くか。話されたそばから、頭の中で取捨選択が走る。意味を落とさないことが、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今日も私は、誰かの言葉の一秒後ろに立って、その意味だけを、こぼさずに運んでいる。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。