イマガワソラ(36歳・養蚕農家14年)
繭を製糸へ出して、伝票を受け取って、また次の桑を切る。十四年、俺の仕事はそこで切れていた。その先で繭が糸になり、布になる世界を、俺は見たことがなかった。絹の道、という言葉だけは知っていた。シルクロードの、はるかな東の終点が、俺の納屋なのだと思うと、少し誇らしいような気もした。
春の蚕期が終わったころ、製糸組合から交流企画の誘いが来た。繭を作る側が、織物産地を一日見にいく。そういう催しだった。糸を引く人、布を織る人がどこかにいるのは知っていたが、会ったことはない。バスを乗り継いで、絹を扱う織物産地の整経場まで行った。電車を降りると、川の匂いがした。水のいい土地は、染めにも糸にもいいのだと、誰かが言っていた気がする。
整経場は、思っていたよりずっと静かだった。天井の高い建屋に、白い糸が何百本も、横にまっすぐ張られている。経糸(たていと)だ。織る前に、それを一本残らず同じ張りで揃えておく。その仕事の人が、ヌマクラエミさんだった。整経二十六年。俺の桑より十二年も長い。糸の列の前に立つ姿は、なんというか、職人の風格に満ちていた。
ヌマクラさんは白い糸の列の一本に指を触れて、「これ、群馬の繭ですよ。この春の」と言った。俺の足が止まった。群馬の、この春。俺の浜かもしれない。俺の蚕期の繭かもしれない。何百本のうちのどれが、と目で追ったが、白い糸はどれも同じ白さで、見分けはつかなかった。それでも俺は、その糸の列の前から、しばらく動けなかった。自分の蚕の吐いたものが、こんな顔をして張られているのかもしれない。
気づくと俺は質問ばかりしていた。繭の煮方で糸の艶が変わるのか。締まった繭と緩い繭では、引きやすさが違うのか。等級の高い繭は、ここでも高く扱われるのか。上流の仕事が、下流でどう見えているのか、知りたくてたまらなかった。ヌマクラさんは一つひとつ、丁寧に答えてくれた。煮方が浅いと糸が硬く、深いと節が出る、と。俺が出した繭の、その先の話だった。
お返しに、蚕の話をした。糸しか知らない人に、虫の暮らしを話すのははじめてだった。眠(みん)のこと——脱皮の前に、ぴたりと桑を食べなくなって、頭を上げたまま動かなくなること。桑の残し方で、その眠が近いとわかること。糞の色で座の調子を読むこと。ヌマクラさんは「糸になる前に、そんなに眠るんですか」と驚いていた。糸の人にとって、繭はもう動かないものなのだ。その手前に、四回も眠って脱皮する虫がいることを、糸の人は知らない。
話していて、ふと似ているところに行き当たった。蚕は眠の前に絶食する。食べることをやめて、体の中を作り替える。ヌマクラさんは、何百本の経糸のうち一本が緩んでいると、織りに入ってから必ず出る、と言った。緩んだ一本が、布の上に筋になって残る。だから整経で、その一本を見つけて締め直す。切れる手前の張り。食べるのをやめる手前の眠。現場は違うのに、同じ緊張が、二人のあいだに静かに横たわっていた。
帰りの電車に乗った。窓の外を、見たことのない景色が流れていく。桑畑のない土地だ。桑のない景色を、こんなに長く眺めたのは久しぶりだった。俺の繭は、桑のない土地で糸になり、布になっていく。下流を知って、俺ははじめて上流の自分の仕事が見えた気がした。糸の先を見たことで、桑を切る手の意味が、少し変わったのだと思う。
納屋に帰ると、また次の蚕期の支度が待っていた。桑を切りながら、白い糸の列を思い出していた。あの何百本のどれかが、俺の蚕だったかもしれない。それだけで、伝票の数字が、少しだけ違うものに見えてくる。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。