繭の、出荷
蚕の仕事の終わりが、商品の始まりになる日

イマガワソラ(36歳・養蚕農家14年)

上蔟から一週間ほど経つと、繭かきの朝が来る。蔟の格子の小部屋に、白い繭がびっしり収まっている。窓の外には朝の光がやわらかく差して、蚕室には繭のかすかな匂いが静かに満ちていた。蚕が糸を吐き終え、自分の体を包んでしまった、その仕事の結晶が、いま目の前に並んでいるのだと思う。

繭かきは家族総出でやる。妻と、母と、俺と。蔟を一枚ずつ下ろして、格子から繭を外していく。傷をつけないように、というのが祖父からの一番の教えだ。爪を立てると繭層に筋がつき、それだけで等級が下がる。指の腹で押し出すように、小部屋の奥から手前へ転がして外す。一枚の蔟から何百粒も外していくと、朝のうちに籠がいくつも繭で埋まっていく。

外した繭の表面には、もやもやとした毛羽(けば)がまとわりついている。蚕が糸を吐きはじめるとき、足場として周りに張る、繭になりきらない乱れた糸だ。これを取らないと製糸でひっかかる。毛羽取り機にかけると、回る部分が毛羽を巻き取ってくれて、繭がつるりとした顔になる。だが機械だけでは取りきれない粒もあって、最後は指でつまんで剝がす。機械と手の両方を使う、地味な作業だと思う。

毛羽を取り終えたら、選繭(せんけん)にかかる。繭をひとつずつ手に取って、はね出すべきものを分けていく作業だ。二匹の蚕が一つの繭を作ってしまった玉繭は、糸が絡み合っていて繰れない。蛹の汁が滲んで茶色く染みた汚れ繭、繭層が薄くて中が透けて見える薄皮繭も、はね出す。手のひらに乗せて、軽さと、染みと、透け方を見る。等級を下げる繭は、この目で先に分けておく。

選り分けた良い繭は、乾繭(かんけん)にまわす。乾燥機に入れて熱をかけ、中の蛹を止めるのだ。生きたままでは、やがて蛹が蛾になり、繭を内側から食い破って出てきてしまう。そうなれば一本の長い糸が断ち切られて、繭は使い物にならない。中の命を止めることで、はじめて繭は保存のきく商品になる。少し残酷なようにも思うが、これをしなければ生糸は生まれない。命と引き換えに、糸が残る。

乾いた繭を袋に詰めて、製糸工場へ出す日が来る。袋の口を縛り、検量にかける。台ばかりの針が振れて、止まる。何キロ、と数字が出る。一年、蚕の眠と脱皮を読み、桑を切り、夜通し上蔟を見守った、その全部が、このキロの数字になる。一年の蚕の仕事が、キロの数字になるのだ。台ばかりの前で、俺はいつも少し黙ってしまう。

繭価には相場がある。年によって上がり下がりし、正直なところ、繭の値だけで暮らしが立つ勘定にはならない。国や県の補助があって、それを足してようやく続けられる。続けられるのか、と問われれば、続けられる、としか言いようがない。儲かるかと聞かれれば、口ごもる。だが、勘定の話をすると、なぜか蚕の顔が遠くなる気がして、俺はあまりこの話を長くしたくない。

出荷が済むと、蚕室はがらんと空になる。蔟を片づけ、座を外し、床を掃く。あれだけ桑を食む雨の音で満ちていた部屋が、しんと静まりかえる。空になった蚕室に立つと、いつも少しさびしい。だが、さびしがっている暇はない。掃いた床を消毒し、次の蚕期に向けて蔟を干し、道具をあらためる。終わりはそのまま、次の始まりの準備になる。

こうして一年の蚕の仕事は、キロの数字になって俺の手を離れていく。命の結晶が商品になり、商品が数字になる。その先で繭は生糸になり、誰かの着るものになるのだろう。蚕の仕事の終わりは、商品の始まりだったのだ。空の蚕室を掃きながら、俺はそんなことを思っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。