イマガワソラ(36歳・養蚕農家14年)
蚕を飼って十四年になる。飼う、と書いたが、祖父はその言い方を嫌った。飼育棚の前で、祖父は何度も言った。「蚕は飼うんじゃない。読むんだ」。二十二歳の俺には、その違いがよくわからなかった。餌をやり、温度を見て、糞を掃く。それのどこが読むことなのか。わかるのに、それから十四年かかった。
養蚕には暦がある。卵から孵った稚蚕は桑を食べ、ある日ぴたりと食べるのをやめて、頭を持ち上げたまま動かなくなる。眠(みん)という。脱皮の前の、絶食の眠りだ。一齢から五齢まで、四回の眠を越えて蚕は育つ。この眠がいつ来るかで、桑をくれる量も、上蔟の日取りも、すべてが決まる。蚕の都合がそのまま農家の暦になる。
桑くれは朝昼晩の三回。継いだばかりの頃、俺は量がわからなかった。多すぎれば桑が傷んで蒸れ、少なすぎれば育ちが揃わない。祖父は蚕座のそばに立って、ただ耳を澄ませていた。何千匹もの蚕が桑を食む音は、雨のような、細かい連続音になる。「音が変わったら、桑が足りとる」。祖父にはその音の濃淡が聞こえていたのだろうと思う。俺にはまだ、雨にしか聞こえなかった。
継いだ年の、五齢の終わりごろだったと思う。祖父が蚕座を指して言った。「眠に入る前の蚕は桑を残す。その残し方を見ろ」。見ると、たしかに桑の葉が、いつもと違う残り方をしていた。きれいに食べ尽くされず、葉脈だけが筋になって残っている。食欲が落ちて、体の中で次の準備が始まっているのだ。蚕は何も言わない。けれど、残した桑が、もうすぐ眠ですと告げている。これが、読む、ということなのかと、その夜はじめて思った。
五齢の蚕が桑を食べ終え、体が飴のように透きとおって、うっすら黄金色に光りはじめる。熟蚕(じゅくさん)という。糸を吐く準備ができたしるしだ。この色を見極めて、蚕を蔟(まぶし)に移す。これが上蔟だ。早すぎれば繭にならず、遅すぎれば座のあちこちで糸を吐き散らす。継いだ年の上蔟の夜、俺は懐中電灯で一匹ずつ体の透け方を確かめながら、明け方近くまで蔟へ移していた。蚕の体は、たしかに金色に近い光を放っていた。古い人が「お蚕さま」と呼び、絹の道がはるばる西へ続いていたのも、この光のせいかもしれない、とそのとき思ったりした。
蔟は回転蔟というものを使う。厚紙を格子に組んだ、いくつもの小部屋のある板で、それを何枚も連ねて回るように吊る。蚕は上へ上へと登る性質があるから、繭を作る場所を探して動きまわる。蚕が偏って一方に集まると、その重みで蔟がくるりと回り、登った蚕がまた下になる。すると蚕はまた登りはじめる。そうやって蚕自身が散らばって、それぞれの小部屋を選び、自分の部屋を決めていく。人が一匹ずつ部屋を割り振るのではない。蚕が自分で選ぶ。よくできた仕掛けだと思う。
繭かきの朝は、蔟の格子から繭をひとつずつ外していく。指でつまむと、白い繭は見た目より軽く、それでいて中に蛹のいる手応えがある。一粒の重さ、と言えばいいのか。空の繭とは違う、命の入った重みが指に返ってくる。何千粒も外していくと、夕方には指の腹が乾いて荒れる。けれど繭かきの朝の、あの一粒目の手応えだけは、十四年経っても忘れない。
繭は製糸へ出す。検査場で繭は等級に分けられる。粒の揃い、毛羽の量、繭層の厚さ。等級が一つ違えば値も違う。俺の繭が生糸になって、どこかの誰かの着るものになるのだろうが、その先の世界を俺は見たことがない。淡々と、繭を渡し、伝票を受け取る。それだけだ。養蚕農家は俺が継いだ頃にはもう数えるほどで、いまはさらに減った。続ける理由を聞かれると困る。儲かるからではない。ただ、祖父の言った「読む」が、まだ全部はわかっていない気がするのだ。
あの上蔟の夜から十四年、俺はずっと蚕を読む人間になった。桑の残し方を見て眠を読み、食む音を聞いて桑を足し、透ける金色を見て上蔟の朝を決める。蚕は飼うんじゃない、読むんだ——祖父のあの一言が、俺をいまの俺にしてくれた。飼育棚の前に立つと、今日も何千匹の食む音が、雨のように聞こえている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。