イマイズミナギ(31歳・牡蠣の打ち子13年)
牡蠣の身を殻から外す仕事を、打ち子という。殻の合わせ目にナイフを入れ、貝柱を切って、身を外す。文字にすればこの一行で終わる。けれどこの一行を、浜のおばちゃんたちは一個に数秒でやってのける。私がその速さに追いつくまでに、まるまる一冬かかった。
初めて作業場に入ったのは二〇一三年、十八の冬だった。冬の海はきらめいていて、その向こうの空はどこまでも青かった。長靴を履いて引き戸を開けると、白い息と、湯気と、塩の匂いが一度に押し寄せてきた。作業場のラジオは演歌を流していて、その音だけが、冷えた空気の中で温かかったように思う。
打ち子ナイフは、料理のナイフとは似ても似つかない。短くて、厚くて、先が少し反っている。刃というより、こじ開けるための道具だ。軍手の上に専用の手袋をはめ、左手で牡蠣をつかむ。殻の、平らな側を上にして。合わせ目を探り当て、そこにナイフの先をねじ込む。貝柱は殻の内側にくっついている。それを上の殻に沿って滑らせて切ると、身がふわりと外れる。
外れる、と書いたけれど、最初の月、私の手元では何も外れなかった。角度がわからない。牡蠣は一個ずつ形が違って、ナイフの入る場所もそのつど違う。力任せにやると殻が割れて、欠片が身に刺さる。焦って、左手の手袋の上から、自分の親指の付け根を刺した。痛いというより、熱かった。血は出なかったけれど、その夜、布団の中で手がじんじんしていたのを覚えている。
隣にいたおばちゃんは、たぶん七十近かった。手だけ見ていると年齢がわからない。その人が、私の手元を見もせずに言った。「殻を見ろ。殻が深い牡蠣は身が立っとる」。深い殻には、それだけ身の入る余地がある。だから外しやすい。殻の形を見れば、中の身の付き方がわかる——そういう意味だったのだと、ずいぶん経ってから腑に落ちた。
むき身は、かごに溜めていく。ある程度溜まったら計量する。目方で管理するのだ。一日の終わりに自分のかごの目方を見るのが、新人のひそかな楽しみであり、苦しみでもあった。最初の頃、私のかごは、おばちゃんたちの半分にも満たなかった。それでも目方は嘘をつかない。手が覚えた分だけ、数字が増えていく。冬が本番のこの仕事で、私は数字に励まされていたのかもしれない。
むいたあとの殻は、外に山になって積まれていく。冬の間じゅう、その山は育ちつづける。あの殻はどこへ行くのだろうと、新人の頃に訊いたことがある。砕いて漁礁にしたり、畑の肥料にしたりするのだと教わった。海から来て、海に還るものもあれば、土になるものもある。身を抜かれた殻にも、ちゃんと次があるのだと知って、なんだか少しほっとした。
あの最初の冬から、もう十三年が経つ。いまでは私も、手元を見ずに牡蠣の殻の深さを言い当てられる。形を見れば、中の身がどう立っているか、だいたいわかる。私はいつのまにか、殻の観察者になっていた。あの冬、手袋の上から自分を刺した痛みが、殻の内側を見る目を私にくれたのだと思う。殻の内側が、いまの私をつくってくれた。作業場のラジオは、今日も演歌を流している。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。