ナイフの、癖(第二稿)
打ち子のナイフは、一人に一本

イマイズミナギ(31歳・牡蠣の打ち子13年)

打ち子のナイフは、一人に一本だ。去年、隣のおばちゃんが手を切って、私が一日だけ代わりに台に着いた。自分のナイフを忘れて、おばちゃんの一本を借りた。握ると、柄の減りが私の指の付け根に合わない。研ぎ角も立っていて、刃が殻に食い込みすぎる。半日で身を十も割った。借りた手では、割れない。

ナイフ置き場は、台の脇の木の箱だ。朝、十数本が刃を上にして差してある。おばちゃんの柄は黒いビニールテープ、その隣のフミさんは白い絆創膏のような布テープを何重にも巻いている。私のは黒の布テープで、先が一ミリ欠けている。誰のものか、テープと刃の細さで全部わかる。名前は書いていない。書く必要がない。

新しいナイフをおろした冬がある。柄がつるりとして、指が滑った。私はまず布テープを巻いた。きつく一周、付け根でゆるめて二周。握って、ほどいて、また巻く。三度巻き直して、欠けのない刃先に親指が当たる位置を決めた。次に砥石。刃を寝かせて当てる。寝かせると鈍角になって、牡蠣の殻に当てても刃が欠けにくい。そのかわり切れ味は鈍いから、貝柱を切る最後の一ミリは握りで押す。おばちゃんは刃を立てる。鋭いが、殻の堅い牡蠣で先が飛ぶ。だから借りた刃は私の殻には鋭すぎた。慣れるまで、ひと冬の半分かかった。

フミさんのナイフは、細い。もとの幅の半分もない。三十年研ぎ続けて、刃がそこまで痩せた。それでもフミさんの手では、殻の合わせ目に吸い込まれるように入る。私のはまだ太い。十三年では、刃幅は一、二ミリしか減らない。置き場に二本を並べて差すと、私のがどれだけ若いかが、太さでわかる。

去年の冬、ナイフを失くした。昼から戻ると、台の上にない。置き場の私の差し口も空だ。私はかごを持ち上げ、台を裏返し、床の貝殻を箒で寄せ、ゴミ袋の口を開けて中をかき回した。手だけが先に動いて、止まらない。十分か、十五分か。出てきたのは、自分のエプロンの腹のポケットだった。昼に外して、そこに突っ込んだのを忘れていた。柄を握って、台に戻した。動悸が引くのに、しばらくかかった。

その晩、家でなぜあんなに探したのかを考えた。新品をまた巻いて、寝かせて研いで、ひと冬の半分かけて慣らす。あの数週間をもう一度やるのかと思った——とは、探しているあいだは思っていない。ただ手が、自分の一本でないと牡蠣に向かえなかった。考えたのは、見つけて、動悸が引いてからだ。

夕方、ナイフを置き場の差し口に戻す。十数本がまた刃を上にして並ぶ。黒いビニール、白い布、私の黒の布。翌朝、暗いうちに作業場に入って、私は箱に手を入れる。見ないで、欠けた先のある一本を引く。指が、自分の柄の減りを知っている。台に着いて、最初の牡蠣の殻の深さを読み、刃を入れる。借りた手では、ここまで来られない。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。