タカハシセイイチ(家計アドバイザー)/『お金の慣用句 — 直観と複利のあいだ』#2
三十代前半の男性会社員が、書店帯のついたままのFP本を片手に席に着いた。背表紙には「投資しない人はもう生きていけない」とある。彼は本を机に置いて、確認するように切り出した。「投資しないのが、結局いちばんのリスクなんですよね?」。語尾の上がり方が、賛同を求める時の上がり方だった。私はうなずきかけて、止まった。これと同じ言い回しを、私は過去七年、面談の最後の押しに使ってきた。
最上級が単独で立っている——「最大のリスク」と言う以上、何かと比べているはずだが、文の中に比較対象がない。物価上昇に負けるリスク、現金で持ち続けて目減りするリスク、機会費用、いろいろ候補は挙げられる。しかしこの一文は、それらのどれを比較項として置いているか明示しない。最上級だけが、暗い大きさで前に出る。比較なしの最大、というのは、論理上は成立しない言い方だ。
動詞の向きが反転する——通常、リスクは「取る」ものだ。資産を株に振り向ける行為は能動で、その結果として変動を引き受ける。ところがこの一文では、「投資しない」という何もしない状態が、リスクを取っている側に置かれる。何もしないでいる人は、自覚なしに毎日リスクの量を増やしていることになる。能動の動詞が登場しないまま、無為が能動の罪に書き換わる。
三重否定の構造——分解するとこうなる。①リスクを取らない、を②リスクから逃げない、と読み替え、③逃げないどころか取っている、まで進める。否定が三段ねじれて、最後には「行動しない=もっとも危険」に着地する。途中の二段は文中には書かれていない。読み手が省略された反転を瞬時に内挿することで、結論だけが残る。本のオビの一行コピーが噛み合う仕掛けはここにある。
客は大きさではなく名前を恐れている——窓口で気づくのは、客がこの一文を持ち出すとき、各リスクの大きさを比べているのではない、ということだ。比べるなら、生活防衛資金の不足、保険の過不足、住宅ローン金利の上昇、と複数の候補を順位付けしないといけない。客は順位付けをしていない。「最大のリスク」という名前そのものを、自分の側に置きたくない、と言っている。最大を引き当てたくない、それだけが本人の中に残っている。
営業文句としての効率——売り文句として、これは効率がいい。比較を要求しないからだ。インフレ率、相関係数、保有期間ごとの分散、そういう数値の山を客に見せなくても、「最大」の二文字で意思決定の方向が決まる。家計相談の現場で、面談の終盤に流れが止まったとき、私が引っぱり出してきたのもこの一文だった。出す側に立っていた私から見ても、出した瞬間に空気が変わる。客の沈黙が、迷いから決意に切り替わる。
無為を能動に書き換える効果——この一文の本当の働きは、リスクの順位付けではなく、状態の意味付けの変更にある。投資をしていない、という事実は、これまでは「中立」「未着手」「保留」と呼ばれていた。同じ事実が、この一文を通すと「危険を増やしている」「先延ばしによる損失を毎日積んでいる」と呼び直される。客がこの呼び直しに同意した時点で、面談は次のフェーズに入っている。商品の話をしてよい、という許可が文の力で出ている。
自分について——七年使っていた、と書いた。途中で疑ったことが一度もなかったかと言われると、嘘になる。客の口数が減るタイミングで、これを出すと話が前に進む、という効き目を体で覚えた。覚えた後は、自分が何を言っているのかを毎回点検する習慣を失っていた。最上級が比較対象なしで立っていることに気づいたのは、ある日、客のほうがこちらに先に同じ文を返してきた時だった。私の文が、書店のオビを経由して、客から私に戻ってきた。
言い換えてみる——「投資しないのが最大のリスク」を、最上級と比較なしの構造を外して書き直すと、「投資をしない状態には、物価上昇に対する目減りという特定のリスクがある」となる。文が長くなり、勢いが消える。消えたぶんだけ、元の一文が運んでいた圧の量がわかる。圧の正体は情報量ではない。情報量はむしろ減る。減らした上で、「最大」という語の暗さだけを残す、という配合だ。
男性は私の沈黙を待っていた。私はうなずきの代わりに、「比べているのは、何と何ですか」と尋ねた。彼は本のオビをもう一度見て、「いや、本に書いてあったので」と言った。書いてあった、で十分に作動するように設計された一文を、私たちは互いに机の上に置いて、しばらく見ていた。
——補記:この第一稿は公開後に辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。3稿を並置しています。