佐藤紗英子。三十五歳。入社十年目。進学塾アスター。神奈川県の郊外、生徒数二百人前後の中小規模の塾。
スタッフは十九人。私だけが、女。
事務全般と、中学生の国語を担当している。同僚は、所長の山田を筆頭に、講師十六人と事務一人、すべて男性。
「女性社員、佐藤さん一人なんですよ」というのは、所長が外で言うときの、ちょっと自慢めいた前置きでもある。「いてくれて、本当に助かってる」と続く。助かっている、というのは、たぶん、本当だと思う。けれど、助かっている、ということと、私一人にしわ寄せが行っている、ということは、ちょっと違う。
違う、ということを、最近、書きとめておこうと思って、これを書いている。
外線の電話のうち、半分くらいは、こう始まる。
「あの、すみません、女性の先生、いらっしゃいますか?」
母親からの電話。中三の娘の進路相談、女子高入試の対策、思春期の悩み、月経痛で休みがちな娘の出席日数の心配。男性講師には話しづらい、と言われる。話しづらい、というのは、態度ではなく、話す側の心の構えの問題で、講師の中身がいくら誠実でも、変わらない。
そういう電話は、私のデスクに転送される。私の業務は、事務と、中学生の国語、と、塾全体の運営の細々したこと。本来、進路相談は教科主任の領分。けれど、教科主任は男性で、そして、母親が「女性の先生」と言ってくる以上、私が出るしかない。
一日に、こういう電話が、平均して三本ある。一本につき、十五分から二十分。一日で、約一時間。一週間で、五時間。月で、二十時間。年で、約二百四十時間、私の業務外の時間が、女性顧客対応に消えていく。
それを、所長は知っている。知っているけれど、「佐藤さん、本当に助かるよ」とだけ言う。誰かを採るべきだ、とは言わない。たぶん、女性をもう一人採る、ということが、所長の頭のなかには、最優先事項として、入っていない。
毎月、教材会議がある。来月の小学生算数のドリルを、誰かが提案する。
先月の会議で、文章題のサンプルが出た。
「お父さんが三千円、お母さんが四千円、それぞれお財布に持っています。一緒にスーパーに行って、買い物をしました。お父さんは家計簿係なので、合計を計算しました」
私は、手を挙げた。「これ、現代の家庭、たぶん、こうじゃないですよね」
所長が、ちょっと考えてから言った。「あー、そうかもね。けど、子どもにわかりやすいし、いいんじゃない?」
他の講師たちも、頷いた。「私の家は、母が家計握ってるけど、子ども的には、こういう絵柄でも、まあ」「文章題で、いちいちジェンダー、考えなくてもいいでしょ」
私は、それ以上、言わなかった。
一人で言い続けても、流れは変わらない。流れは、十九人 対 一人で、決まる。多数決ではないけれど、空気は、多数派の側が作る。
私が黙ったあと、文章題は、そのまま採用された。来月、二百人の小学生が、その文章題を解く。お父さんが家計簿、お母さんが買い物、という前提を、ふわっと、刷り込まれる。私の手で、それを、止められなかった。
去年の秋、女性の応募者が一人、来た。三十代前半、教育系の前職を持っていた。書類選考を通って、面接。私も同席を頼まれた。
応募者は、明るく、優秀で、塾講師として申し分なかった。所長も、好印象を持ったらしい。
面接の終わり際、所長が、世間話のような口調で、こう言った。
「うちの会社、女性スタッフは、今、佐藤さん一人なんですよ。佐藤さん、よろしくお願いします」
応募者は、ちょっと、ぎこちなく笑った。「あ、そうなんですね」
そのあと、応募者は、辞退の連絡をくれた。「他社からも内定をいただきまして」とのことだったけれど、私は、たぶん、本当の理由は別にあると思っている。
女性が一人しかいない職場に、自分が二人目として入る、ということが、どれほどの覚悟を要するか、応募者は、面接の数分間で、感じ取ったのだと思う。私自身が十年前にここに入ったときの覚悟を、まだ覚えている。十年経って、状況が変わっていない、ということを、私が応募者に対して伝える役には、たぶん、なっていなかった。
所長は、辞退の連絡を受けて、「縁がなかったね」と言った。それで、終わった。
春に、塾業界の合同研修があった。中小規模の塾チェーン、十数社が集まる。
休憩時間、廊下で、他社のベテランの人事担当の女性と、立ち話をした。彼女は、四十代後半、二十年その会社にいる、と言っていた。
「アスターさんは、女性スタッフ、何人いらっしゃいますか?」
「私、一人です」
彼女は、コーヒーカップを、ちょっと、傾けたまま、止めた。
「……一人」
「はい」
「それは……いろいろ、あるでしょうね」
「いろいろ」と彼女は言った。具体的に何を、とは聞かなかった。聞かなくても、わかる、という顔だった。私は、その「いろいろ」を、彼女が分かってくれている、ということに、ふっと、救われた。救われた、ということは、ふだん、誰にも分かってもらえていない、ということでもあった。
そのあと、彼女は、私の名刺を見て、メールアドレスをスマホに登録した。「何かあったら、相談してください」と、彼女は言った。
その「何か」が何かを、私は、たぶん、わかっていた。彼女もわかっていた。けれど、声に出さない、というのが、私たちのあいだの、定石だった。
ある朝、出社の途中、駅のホームで、ふっと、考えた。
私が辞めたら、アスターは、どうなるんだろう。
「女性の先生、いらっしゃいますか?」の電話に、答える人が、いなくなる。女子生徒のトラブルに、最初に呼ばれる人が、いなくなる。教材会議でジェンダーの違和感を口にする人も、いなくなる。それは、すべて、私が辞めることで、消える。
消えても、たぶん、塾はしばらく続く。けれど、女性顧客対応の質が、ふわっと、落ちる。落ちたことを、所長は、たぶん、最初は気づかない。気づいたときには、もう、口コミの力学が動いていて、母親たちは、別の塾を選ぶようになっている。
それは、私が引き受けるべき重さなのだろうか。
引き受けるべきではない、と、私は思う。組織の弱さを、私一人で背負って、辞められないでいる、というのは、もう、健全ではない。
けれど、辞める覚悟も、まだ、ない。十年いた職場で、私の生徒たちがいて、保護者との関係がある。辞めれば、その関係も、消える。
電車が来た。乗った。考えるのを、いったん、やめた。
多様性、という言葉が、最近、いろんなところで聞かれる。
けれど、アスターには、まだ、ない。会議で「多様性」と誰かが口にしたら、所長は、たぶん、ちょっと笑って、「うちはみんな仲良くやってるからね」と言う。多様性が「仲の良さ」のことだと、所長の中では、たぶん、なっている。
あるとすれば、多様性は、「佐藤さんがいてくれる」という、私の名前で表される頼りだった。私の名前一つで、組織の多様性が代表されている、ということ自体が、組織の弱さの、いちばんわかりやすい形だった。
組織の弱さを、私一人で支えている。私一人で支えられている、ということ自体が、組織の弱さだった。
この二つの文は、矛盾しているようで、していない。私が支えるかぎり、弱さは見えない。けれど、私がいなくなった瞬間、弱さは、剥き出しになる。剥き出しになったとき、初めて、組織は「あ、これは弱かったんだ」と気づく。
気づくときには、たぶん、遅い。
明日も、「女性の先生、いらっしゃいますか?」の電話は、来る。来週も、来月も、たぶん、来る。
私は、まだ、答える。「はい、私です」と。
けれど、答えながら、心のどこかで、もう一つの電話を、ふっと、待っている。
「女性の先生たち、いらっしゃいますか?」と、複数形で、聞かれる日を。
その日が来るまで、私は、たぶん、辞めない。けれど、その日が、いつか来る、という保証も、ない。
所長が、来週の朝礼で、「うちも、女性スタッフ、もう少し増やそうかな」と言ってくれたら、私は、たぶん、ちょっと、泣く。泣かないかもしれない。けれど、私の中の、十年分の何かが、ふっと、ほぐれる。
ほぐれる日を、待つ、ということを、自分に許す。それくらいは、いいだろう、と思う。
→ 第二稿:一人だけ、では(v2・書き直し)
→ 研究室4人による建設的批判
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本作は単発の社会観察エッセイ第一稿。教育サービスの中小企業(進学塾アスター、神奈川郊外、生徒200人)で唯一の女性スタッフである佐藤紗英子(35歳、入社10年目、事務+国語講師)の視点から、多様性の欠如が組織の弱さに直結する具体例を5つのエピソードで描く。母親からの「女性の先生、いらっしゃいますか?」電話の集中で年240時間の業務外時間が消える。教材会議の文章題(お父さんが家計簿、お母さんが買い物)への違和感が「いいんじゃない」で流される。女性応募者の面接で所長「女性スタッフは佐藤さん一人なんですよ」→応募者辞退。他社人事の女性「それは、いろいろ、あるでしょうね」と察してくれる救い。駅のホームで「私が辞めたら、ここはゼロになる」「それは私が引き受けるべき重さか」。多様性は「佐藤さんがいてくれる」という一人の名前で代表されている。「組織の弱さは、私一人で支えられている。私一人で支えられている、ということ自体が、組織の弱さだった」。「女性の先生たち、いらっしゃいますか?」と複数形で聞かれる日を待つ。