炎の、色
弟子入りの年、温度計を捨てて色を読むまで

カゲツモエ(44歳・登り窯の窯焚き22年)

登り窯を焚いて二十二年になる。斜面に沿って焼成室がいくつも連なる窯で、薪をくべて器を焼き上げるのに、数日がかりになる。窯の前に立つと、いつも最初に覗き穴のことを思う。直径にして親指ほどの、煉瓦の壁に空いた小さな穴。そこから、千二百度の世界が見える。

二〇〇四年、二十二歳の春に、焼き物の産地の窯元へ弟子入りした。学校を出て、ろくろも釉薬も何ひとつものにならないまま、それでも火のそばにいたくて頭を下げた。親方は何も訊かず、ただ「窯場の掃除からだ」と言った。最初の一年は、薪を割り、灰をかき出し、ひたすら窯の周りを歩いていた。

初めて焚き口の番を任された日のことは、よく覚えている。窯場には薪の燃える匂いが静かに満ちていて、夜の闇のなかで炎だけが神秘的に揺れていた。私は緊張で手が震えていたのだと思う。親方は私の横に立って、温度計をちらりと見て、それから言った。「温度計は目安だ。色を見ろ。炎の色と、器が汗をかく照りで焚け」。

覗き穴に目を当てる。最初はただ明るいだけで、何も区別がつかない。けれど見続けていると、色が階調を持っていることがわかってくる。低いうちは鈍い赤。温度が上がるにつれて、赤からオレンジへ、オレンジから黄へ。そして焼成の終わりが近づくと、すべてが白に近づいていく。白い、と感じたら、もう千二百度を超えている。色は、温度の言葉なのだった。

もっとも、目だけに頼るわけではない。窯の中には、ゼーゲルコーンという三角錐を立ててある。狙った温度で、熱によって先がゆっくり曲がる、目安の道具だ。覗き穴から見ていると、ある瞬間、コーンの頭がくたりと辞儀をする。色とコーン、ふたつを併せて読む。けれど親方は、最後はやはり色だと言った。コーンが教えるのは温度で、色が教えるのは、いまこの器がどうなりたがっているか、なのだと思う。

薪をくべるのにも、リズムがある。焚き口へ何本を、どれくらいの間隔で投げ込むか。攻めるときは間隔を詰めて本数を増やし、温度をぐいと押し上げる。けれど押し上げすぎれば、窯のなかで何かが破綻する。逆に緩めれば温度は寝てしまう。私は最初、ただ親方の真似をして本数を数えていた。やがて、数えるのではなく、炎の色の戻り方で次の一投を決めるようになった。たぶん、それが焚くということなのだろう。

登り窯は、一度火を入れたら数日間止まらない。だから夜通しの交代の番がある。仮眠をとる者、焚き口を攻める者、飯を炊く者。冷えた握り飯を窯の余熱で温めて食べ、二時間眠っては起きて、また覗き穴を覗く。眠気のなかで見る炎は、ときどき生き物のように見えた。三日三晩、火を絶やさず、人が交代しながら、ひとつの炎を守り続ける。そういう時間だった。

灰のことも書いておきたい。薪が燃えて舞い上がった灰は、窯のなかを流れて、器の肩や口にふわりと降り積もる。それが高温で溶けて、自然釉という景色になる。どこに灰が落ちるかは、置いた場所と炎の通り道で、ある程度までしか決められない。狙えないものを狙う。それが窯焚きのいちばん難しく、いちばん面白いところなのかもしれない。

窯出しの日は、答え合わせだ。冷ましてから一室ずつ開けていくと、同じ窯のなかでも、焼け過ぎと生焼けが、ほんの数センチの差で隣り合っている。火前は強く焼け、奥は柔らかい。私はいつしか、どの場所がどう焼けるか、頭のなかに焼き上がりの地図を持つようになった。あの春から二十二年、私はずっと、炎の色の観察者であり続けてきた。あの覗き穴の向こうの色が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。窯場には、今日も薪の匂いが静かに満ちている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。