窯詰めの、棚(第二稿)
焚く前の数日、満杯の窯の静けさ

カゲツモエ(44歳・登り窯の窯焚き22年)

火を入れる前に、数日がある。窯詰めの数日だ。空っぽの窯に器を運び入れ、棚を組み、すべてを置き終えてから、焚き始める。覗き穴の向こうの色を読むのが焚くことなら、窯詰めは、その炎が通る道を先に引いておく仕事だ。

登り窯は、いくつもの部屋がつらなった坂の建物だ。焚き口でくべた炎は、前の間から奥の間へ、坂を駆け上がるように抜けていく。前の間は強く焼け、奥の間はやわらかい。だからどの器をどこに置くかで、焼き上がりは先に半分が決まる。前回、奥の間に置いた壺は口縁が土の色のまま残った。あの位置に、今回は焼け残ってもいい湯呑みを回す。前の間には、灰を待つ器を置く。

棚は、棚板と支柱で組む。四隅に支柱を立て、一枚の棚板を渡す。その上にまた支柱を立て、また板を渡す。何段にも積み上げていく。支柱が一本傾けば、上の段がすべて傾く。三日三晩の高温のなかで一段が崩れれば、下の器も巻き添えで、ひと部屋が全滅する。だから板を渡すたび、支柱の頭に指の腹を当てて、四点の高さが揃っているかを確かめる。一点でも低ければ、薄い陶片を噛ませて直す。揃った、と指が言うまで、次の段には進まない。

焚き口に近い、炎がまっすぐ当たる棚。そこに置いた器の肩には薪の灰が降り積もり、溶けて、緑のガラスを引く。前回、その位置の徳利は肩から胴まで灰が流れて景色になり、その隣に置いた皿には、なぜかほとんど乗らなかった。灰がどこで止まるかは、二十二年見てきて、いまも半分しか読めない。だからその一等地に今回は誰の器を置くか。私は黙って決める。決めたことは、口に出さない。

器の高台が、棚板に溶けて張り付くことがある。窯出しのとき剝がそうとすれば、高台が欠ける。だから棚板にアルミナの粉を薄く敷く。多く敷きすぎると器が滑り、薄すぎると効かない。釉のかかりが強い器の下には、牡蠣の貝殻を三枚、足のように噛ませる。焼き上がった高台の裏には、貝の縁の白い跡が三日月に残る。器と棚板が一つになろうとする力を、その三日月の隙間で外しておく。

窯詰めの数日、私はずっと中腰だ。窯の天井は低い。立てない。器を抱えて入り、腰をかがめたまま、奥の棚から順に詰めていく。手前を先に詰めると、奥へ入れなくなるからだ。膝をつき、首を折り、両手は器でふさがっている。夕方になると、腰が伸びなくなる。それでも、まだ半分も詰まっていない。窯のなかは、自分の体ひとつぶんしか空いていない。

すべてを置き終えると、焚き口を塞ぐ。耐火煉瓦を一つずつ積み、隙間を粘土で目張りしていく。最後の一個を置くと、窯のなかは見えなくなる。私はその煉瓦を、いつもより少し長く手に持っている。重さを確かめるように。それから、置く。塞いでしまえば、もう触れない。私にできることは、ここで終わる。あとは火だ。

塞ぎ終えた夜、窯は満杯で、まだ冷たい。何百の器が、暗い棚のなかで息をひそめている。火はまだ入っていない。明日の朝、焚き口に火を入れれば、三日三晩が始まる。番をするのはそこからだ。けれどこの前夜だけは、何の音もしない。私は窯場に立って、満杯の窯の静けさを聞いている。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。