山の、薪
薪を探して、炭焼きの山を訪ねた日

カゲツモエ(44歳・登り窯の窯焚き22年)

登り窯は、薪がなければただの煉瓦の塚だ。一回の本焚きで赤松を二トンほど使う。その赤松が、ここ数年、手に入らなくなってきた。長く世話になっていた薪屋が、去年、店を畳んだ。主人がもう八十を超えていて、息子は継がなかった。最後に届いた束を割りながら、私はこの先のことを少し考えていたのだと思う。

薪屋を失うというのは、ただ仕入れ先が消えるのとは違う。あの主人は、私がどんな乾き具合の松を欲しがるかを、注文の声の調子で当てた。同じ赤松でも、脂の乗った芯持ちと、白太の多い外側とでは、火の伸びがまるで違う。それを黙って選り分けて届けてくれていた。値が上がったのではない。値の付けようがなくなった、というほうが近い。市場に出回る薪は建築の端材が多くて、釘や塗料の付いたものも混じる。窯には入れられない。

困っていると、同じ町で陶土を扱う知り合いが、炭焼きの人を紹介してくれた。「山を持ってる人だから、相談してみたら」と。火を扱う者同士、話くらいは合うだろう、というくらいの軽い口ぶりだった。私は教わった番号に電話をかけ、翌週、軽トラで山へ向かった。

山の入口で待っていたのが、クロギタケルさんだった。炭焼き三十四年。私より一回り上の、五十六になるという人で、握手をした手のひらが、私の手より硬かった。挨拶もそこそこに、クロギさんは「まず窯を見るか」と言って、私を炭窯のほうへ連れて行った。火を使う者同士、言葉より先に窯を見せ合うのが筋なのだろう。土を盛り上げて作った、伏せた椀のような窯だった。

山を案内してもらった。クロギさんの山は択伐——選んで伐る山だった。炭にするのはウバメガシで、これは備長炭になる堅い木だ。萌芽更新といって、株から出た芽を何十年も回しながら伐っていく。「ウバメは火が長い。陶器の松とは別もんだ」とクロギさんは言った。赤松は脂で一気に燃えて温度を押し上げる。ウバメは、ゆっくり、長く、熾になって残る。同じ山の木でも、木と火の相性で、向く焼きものが分かれる。私はそのことを、恥ずかしながらその日まで、頭でしか知らなかった。

炭窯の前で、二人でしばらく窯談義をした。驚いたのは、言葉が通じることだった。土を盛って作る窯という点で、私の登り窯とクロギさんの炭窯は親戚のようなもので、「口焚き」も「攻め」も、そのまま通じた。焚き口に小さく火を入れて窯全体を温めていく最初の段階を、私たちはどちらも「口焚き」と呼ぶ。温度を一気に押し上げる山場を「攻め」と呼ぶ。職業も焼くものも違うのに、火を相手にしてきた年月が、同じ言葉を二人に持たせていた。火を操る者同士というのは、こういうことを言うのだろう。

けれど、終わり方は逆だった。炭焼きは、ある頃合いで窯の口を塞いで火を断ち、蒸し焼きにして炭にする。クロギさんは「煙を見て閉める」と言った。窯から立つ煙が白から青みがかった透明に変わる、その色で、閉める時を読むのだそうだ。私たちは逆だ。陶は、炎を見てひたすら焚き続ける。閉めるのではなく、最後まで色を上げていく。炭は煙を見て閉じ、陶は炎を見て開け続ける。同じ土の窯で、片方は火を殺し、片方は火を生かし切る。私はそのことを、淡々と聞いていた。

帰り際、クロギさんは「山の手入れで赤松も出る。間伐の分なら回せるぞ」と言ってくれた。択伐の山では、炭にしない木も伐る。そのなかに赤松も混じる。それを、次の窯焚きに合わせて分けてくれるという。値の話はあっさり付いた。軽トラの荷台に、その日のうちに、ひと山分の赤松を積んでもらった。乾きはまだ甘い。一年は寝かせないと焚けない。それでも、最初のひと山だった。

山を下りる軽トラの荷台で、赤松の束がかたかたと鳴っていた。炭の人と陶の人、煙を読む者と炎を読む者。終い方は正反対でも、火のそばで生きてきたという一点で、私たちはたしかに同じ山にいた。結局のところ、私たちは同じ火の、別の道だったのだ。荷台のひと山の松を、私は何度もミラー越しに確かめながら、山を下りた。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。