ワタナベの妻(名古屋・主婦・匿名希望。夫ワタナベ65歳、成人した娘あり。娘の付き合いで好きになり、いつしか自分が一番熱心に)
今年の夏も終わりを告げ、朝晩の風に涼しさを感じるようになりました。扇風機を片付け、季節のものをしまうついでに、あのうちわが目に入ります。娘が随分前にくれたものです。派手な色合いに、あの五人の顔が並んだうちわ。あの頃は、夏のライブに行くときに必ず持っていくものでした。もう、そういう機会もなくなってしまいました。
娘が大学生になって、一人暮らしを始めてから、電話で話す機会は減りました。たまにかかってきても、話すことは探り探りになります。「最近どうしているの」「何か困ったことはない」そんなことを尋ねるばかり。気を遣うような会話ばかりで、昔のように他愛ない話で盛り上がることもなくなっていました。そんな中で、あの五人の話だけは特別でした。
もともとは、娘が友人に誘われて見に行ったコンサートの話を聞いたのがきっかけです。そのうちテレビで見かけるようになり、いつしか私が一番、彼らの活動を追いかけるようになっていました。新しい曲が出れば感想を言い合い、テレビに出れば録画を忘れずに見る。そんなささやかな共通の話題が、離れて暮らす娘と私をつなぐ、細いけれど確かな糸だったのです。
娘ももう大人です。結婚や孫の話は、どうしても角が立ちます。良かれと思って口にしたことが、娘を追い詰めてしまうのではないか。そう考えると、なかなか話す気になれません。でも、あの五人の話だけは違いました。彼らのコンサートの話、テレビでの振る舞い、新しいドラマでの演技。どれも、安心して話せる話題でした。娘も「お母さんは本当に詳しいね」と笑って聞いてくれます。私たち母娘にとって、彼らは唯一の中立地帯だったのです。
だから、解散のニュースを聞いたとき、私はショックでした。もちろん、彼らの選択を尊重したい気持ちはあります。それぞれの道に進む彼らを、応援したいとも思います。でも、それと同時に、私の中にはぽっかりと穴が空いたような寂しさが広がりました。彼らが活動を終えるということは、娘との共通の話題が一つ、消えてしまうということ。あの電話の時間を、私はどうすればいいのだろう。本当の恐れは、グループを失うことよりも、これから娘に何を話せばいいのか、ということでした。
棚の奥に仕舞い込んだ、少し欠けた陶器のコップを眺めます。もう使うこともないけれど、捨てられないものの一つです。そんなふうに、私たちの会話からも、何か大切なものが欠けてしまうような気がしました。
うちわは、埃をかぶらないように、また丁寧に簞笥の奥に戻しました。次に娘に電話するとき、私は何の話をするのだろう。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。