生まれたときから、あの五人はいた
母が泣いている意味が、わからなかった

サカモトミユ(高校生・女性。物心ついた時にはあの五人が「国民的」だった世代)

居間のテレビから漏れる、乾いた笑い声。それは過去の彼らが響かせる、陽気な残響。母はソファの隅で、小さな嗚咽を漏らしている。肩が微かに震え、顔を覆う手のひらの隙間から、赤く腫れたまぶたが見えた。テレビの光が反射し、その潤んだ瞳に小さな星を宿している。リビングには、微かに鉄のような、あるいは古い埃のような匂いが漂っている。それは、母が過去と現在を行き来する、その境界の匂いだったのかもしれない。

私にとって、あの五人は常にそこにいた。物心ついた時にはすでに国民的で、テレビをつければ彼らの笑顔があった。彼らの歌はBGMのように日常に溶け込み、当たり前の風景の一部だった。特別な感情を抱いたことはない。彼らの過去の映像を真剣に見ることもなかった。まるで、最初からそこにデザインされていたかのように、彼らの存在は堅牢だった。

しかし、母の涙は、その堅牢さに亀裂を入れる。母にとって、彼らは「常にいた」存在ではなかった。彼女が青春のほとりを過ごし、多感な時期を共に駆け抜けた、獲得された「何か」だったのだ。画面の中の彼らに向ける母の視線は、遠い過去を見つめている。それは私が知らない、私という存在が生まれる前の、母自身の歴史を物語る眼差しだ。その視線に、私は畏怖のような感情を覚える。

「当たり前」とは、自分にとっては揺るがない地面のようなものだった。大人が、特に母が、ここまで深く感情を揺さぶられる姿を私はほとんど見たことがない。その不動の存在が、過去の映像に感傷を深く滲ませる。私には理解できない、彼らとの共有された時間の重み。それが終わりを告げることの意味を、母の小さな肩の震えと、規則的な鼻をすする音から、静かに観察する。ソファの生地が、母の重みで僅かに沈んでいる。

私の中で、漠然とした問いが、静かに形を成し始める。私が「当たり前」と捉えている世界も、誰かにとっては必死に手に入れた、あるいは守ってきたものなのか。私が当然のように享受している平穏や日常も、いつか終わりを告げる日が来るのだろうか。それは、想像することすら難しい、未知の領域。母の頬を伝う一筋の光沢が、テレビの光を鈍く反射しながら、その問いを一層深くする。

私はまだ知らない。私が当たり前だと思っているものが、例えば友との賑やかな笑い声や、学校の帰り道の茜色の夕焼けや、あるいはこの小さな家族の健やかな営みが、ある日突然、その形を変えるとき、私の顔はどのような表情を浮かべるのか。母の涙の理由を、言葉の全てで理解することは、今の私にはまだ難しい。ただ、得体の知れない一つの予感だけが、私の心に静かに刻み込まれる。

わたしにも、いつか当たり前だと思っているものが終わる日が来る。その時の顔を、わたしはまだ知らない。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

辛口レビュー →
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。