カジワラユウト(27歳・ロープ窓清掃5年)
朝、現場に着いてまず屋上へ上がる。空はまだ青みが残っていて、ビルの上の風はひんやりと頬を撫でていく。ポケットから携帯の風速計を出して、プロペラを風に向ける。その数分間で、その日の仕事のすべてが決まる。下りられるか、下りられないか。たった一つの数字が、私たちの一日を分けるのだ。
目安は十メートルだ。秒速十メートルを超えたら、ロープには出ない。それ以下なら下りる。けれど風というのは、そんなにきれいに線が引けるものではない。八を指したかと思えば、すぐ十二まで跳ね上がる。屋上で風速計を回していると、数字が呼吸のように上下するのが見える。私はその数字を、しばらく見つめていた。
地上の風と、高層階の風は別物だ。ビルとビルのあいだを抜けるとき、風は巻く。ビル風というやつで、壁にぶつかった風が向きを変えて、上から、横から、下から、思いがけない方向で吹いてくる。地上が無風でも、二十階のコーナーでは渦を巻いていることがある。だから屋上の数字だけでは足りない。体で覚えた、あの巻き方の記憶も持ち寄る。
中止を決めるのは責任者だ。けれど、実際にぶら下がるのは私たちだから、数字と体感の両方を持ち寄る。「上、けっこう巻いてますね」「風速計は九だけど、突風が来る」。責任者はそれを聞いて、最後に決める。グレーゾーンの日は、年長者の顔を見る。班長は風速計を一度も見ずに、屋上の縁に立って、ただ風に頬を当てている。それから「今日はやめとこう」と言う。数字より、長年の体が先に答えを出している。
下りられない日は、客先に連絡を入れる。中止の電話をかけるのは営業の仕事だ。「窓が汚れたままで申し訳ありません」と謝るのは、いつも営業の人だ。現場は謝らない。安全は、謝る事柄ではないからだ。風が強いから下りない、それは交渉の余地のない決定で、私たちが頭を下げるべきことではない。そう先輩に教わったとき、少しだけ背筋が伸びた気がした。
けれど中止は、それで終わりではない。一日飛べば、振替の日程を組み直さなければならない。スケジュール表の升目が、ドミノのように崩れていく。明日に入れていた別の現場を後ろにずらし、その先の予定もまた動く。一枚のガラスを拭けなかったことが、来週の予定まで揺らしていく。風はガラスより怖い、と私はいつも思う。
下りられる日もある。風速計が六、七あたりで落ち着いて、空が動かない朝。そういう日は、屋上のアンカーにロープを掛けながら、少しだけ心が軽い。アンカーは屋上の隅に等間隔で並んでいて、私はその一つにフックを掛け、もう一本を別のアンカーに繋ぐ。準備をしているあいだも、風はずっと頬の横を通り過ぎていく。風と相談しながら下りていく仕事なのだ、と思う。
ぶら下がってしまえば、もう風速計は見ない。体が風速計になる。ロープが横に流されれば、ああ、巻いているなとわかる。ロープがもつれそうになるのは、風が向きを変えた合図だ。ガラスに張りつくようにして、風が緩む瞬間を待って、スクイジーを一筋だけ引く。朝、屋上で見たあの数字が、いまは私の体の中で回り続けている。
結局のところ、この仕事は風と相談する仕事なのだ。下りるか下りないかを決めるのは、風速計でも責任者でもなく、最後はあの数分間に屋上で頬に当てた風の感触なのかもしれない。私は今日も風速計を回し、数字と体感のあいだで、行けるか行けないかを考えている。それがこの仕事の、いちばん朝の風景だ。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。