カジワラユウト(27歳・ロープ窓清掃5年)
安全帯のフックは二本ある。片方を掛け替えるあいだも、もう片方は必ずどこかに繋がっている。屋上のアンカーから下りてビルを拭いて、また地上に戻るまで、私の両手が本当に空く瞬間は一度もない。片手はロープ、片手はスクイジー。これがこの仕事の、いちばん最初に体に入る決まりだ。
スクイジーはゴムの当てる角度がすべてだ。寝かせすぎれば筋が残り、立てすぎれば水が垂れる。腰の横にバケツを吊って、ウォッシャーで濡らし、スクイジーで切る。それだけを一日繰り返す。風速が八メートルを超えたら、その日は下りない。風はガラスより怖い。
二〇二一年、私は二十二歳で、この仕事の一年目だった。最初の現場が都心の高層ビルで、十八階あたりまで下りたとき、ガラスの内側が会議室だった。長いテーブルに十人ほど。一人がホワイトボードの前に立って、右肩上がりの字で何か書いていた。何を書いているかは読めない。ただ、字が紙面の右へ上がっていくのだけが見えた。音は何も聞こえなかった。口は動いているのに、声が届かない。
スクイジーを動かしていると、何人かがこちらに気づいた。気づいて、すぐ目をそらす。窓の外に人がぶら下がっている、という事実を見なかったことにする。外を拭く人間と、中で働く人間は、目を合わせない。あとで先輩に、それが都会の作法だと教わった。私もそれにならって、ガラスだけを見て拭いた。
いちばん奥の人が、手を振った。胸の高さで、ほんの少し。会議の最中に、誰にも気づかれないように。スクイジーを持った手が、振り返そうとして、ぴくりと上がりかけた。ロープがそれを止めた。手は離せない。私は首だけで会釈をした。その人は満足したように、また前を向いた。
会釈を返しながら、私は自分が作法の側にいたことに気づいた。目をそらしていた九人と、同じ側にいた。ガラスを拭く手は、向こうを見ないための手でもあった。手を振ったあの人だけが、作法の外に片手を出した。出された手に、私は片手も上げられなかった。それが、この仕事で最初に覚えた、いちばん長く残っている悔いだ。
それから五年、ガラスの内側を見ている。プレゼンの途中で天井を見上げる人。誰もいない会議室で、椅子に座ったまま動かない人。ホワイトボードを消さずに帰る人。読めない字、聞こえない声。私は何も言わないし、向こうも私を知らない。見ていることを、見なかったことにする。気づけば私も、目をそらす側の作法を、すっかり身につけていた。
あの会議室の人の顔は、もう思い出せない。覚えているのは、胸の高さで止まった手と、ロープに止められた自分の手だ。二本のフック、二つの手。離せない方の手のことばかり、いまも考えている。