カケイユズ(25歳・管楽器のリペア職人5年)
凹んだ楽器を、人は指で隠すようにして差し出す。「これ、直りますか」。直る。たいていの凹みは直る。先に答えに困るのは、いつも次の質問のほうだ。
凹みは、見れば何が起きたかわかる。譜面台にぶつけた縁の凹みは、決まって同じ高さにある。立てかけて倒したベルは、まんまるが楕円に潰れる。ケースの中で暴れた打痕は、ひとつではなく群れで散らばっている。固定の甘いケースを開けると、まず打痕の散り方を見る。場所が、持ち主の扱い方を言う。
凹み出しは、内側から金属を起こす作業だ。トランペットのボウなら、芯金という鋼の棒を管に通し、凹みの真下に当てる。そのうえで裏から当て金を添え、丸い面の槌で芯金ごと軽く叩く。叩くのは外側ではなく、芯金に乗った金属だ。届かない曲がりの奥には、鋼球を一つ管に落とし、棒で押して凹みの下まで転がし、外から磁石で位置を決めてから起こす。金属は急ぐと裂ける。だから一度に戻そうとはしない。叩いて、見て、また叩く。
起こし終えると、人は必ず訊く。「音に影響ありますか」。浅い凹みなら、内径の変化は息が越えていく。だから私は「音には出ません」と答える。そのうえで言う。「直すかどうかは、気持ちの問題です」。この二つを続けて言うと、人はふたつに割れる。ほっとして凹みごと抱えて帰る人と、それでも直してください、と言う人と。
先週、それでも直してくださいと言った人は、言いながら親指で凹みの縁を撫でていた。私が音には出ないと二度目を言っても、その指は凹みから離れなかった。気持ちの問題だと私が言ったその気持ちは、台詞ではなく、その親指のほうに出ていた。私は芯金を選んだ。
中古で買った楽器を、前の持ち主の凹みごと持ってくる人もいる。「自分の傷じゃないので」と言う。自分の手でつけた握り跡は残すのに、知らない誰かの凹みは消したい。私は去年、中古のフリューゲルホルンを買った。前の人の親指の当たる位置が、ラッカーだけ薄く擦れていた。私はその擦れを、磨かずに残した。だから「自分の傷じゃないので」と言う人に、ですよね、とは言わない。黙って芯金を通す。
凹みを起こしたあと、ラッカーが割れていれば塗り直す。けれど塗り直した跡は、見る人が見れば分かる。新しいラッカーは元より艶が硬く、境目には指の腹でわかる段差が一筋残る。表からは凹みが消えても、その段差は消えない。私が直した楽器が、いつか中古で別の工房に持ち込まれたら、向こうの職人は段差に気づくだろう。ここに何かがあった、と。
「これ、直りますか」と訊かれたら、私はまだ「直ります」と答える。音には出ません、とも。直すかどうかは、気持ちの問題です、とも。そこから先は言わない。撫でる親指を見て、芯金を選ぶか、選ばないかを決めるだけだ。