タンポの、ため息
リペア工房一年目、楽器を見る前に吹いてもらえと言われた日

カケイユズ(25歳・管楽器のリペア職人5年)

音の出ない楽器が、毎日、工房に運ばれてくる。サックス、フルート、クラリネット。持ち主はみんな同じことを言う。「鳴らないんです」。でも、楽器が鳴らないのか、その人が鳴らせていないのか、それは持ち込まれた段階では、まだ誰にもわからない。

専門学校を出て、楽器店のリペア工房に入ったのが二十歳の春だった。最初に覚えたのは、タンポという言葉だった。管楽器の、指で押さえるキイの裏側についている、丸いパッド。音孔をぴったり塞ぐためのもので、これがほんの少しでもずれると、空気が漏れて、音が出なくなる。フェルトと革でできた、小さな円。楽器の中で、いちばん地味で、いちばん嘘をつけない部品だ。

先輩に、最初の日に言われた。「楽器を見る前に、吹いてもらえ」。音が出ないと言って持ち込まれる楽器の、半分は楽器のせいじゃない、と先輩は言った。奏者のほうの問題だ、と。「でも、それを言うのはリペアの仕事じゃない。直すのは楽器だけ。ただ、調整で吹きやすくしてやることはできる」。私はその言葉の意味を、長いあいだ考えていた。

タンポがちゃんと閉じているかは、リークライトで確かめる。キイの裏に細い光源を差し込んで、暗くした工房で、音孔の縁から光が漏れていないかを見る。光が漏れれば、空気も漏れる。逆に、ぴたりと閉じているタンポの縁は、光を一筋も通さない。楽器を分解して、ライトを点けて、漏れる光を一つずつ消していく。それが調整という作業の、いちばん原始的な核だった。

持ち込まれる楽器は、傷み方が違う。学生の楽器はわかりやすい。中学高校の部活で使い込まれたアルトサックスは、左手の小指がよく触れるキイのコルクがつぶれ、ネックの差し込み口に、雑に扱った跡がある。よく吹く子の楽器は、唾抜きのあたりが妙にきれいだったりする。部活の楽器は、正直だ。持ち主が言わないことまで、楽器が全部しゃべってしまう。

プロの楽器は、また違う。あるトランペット奏者の楽器を預かったとき、その人はバルブの戻る速さを、コンマ何ミリの感覚で気にしていた。私には同じに思える二つの状態を、その人ははっきり「違う」と言った。傷み方ではなく、好みの細かさで、その人の手が見える。学生の楽器が傷で語るなら、プロの楽器は、許容しない狭さで語っていた。

納品のとき、試奏をする。直した楽器に、自分で息を入れる。それまで光が漏れていた音孔が、ぴたりと塞がって、いちばん低い音が、ためらいなく出る。その一音目で、楽器が、まるで自分から歌い出すように鳴る瞬間がある。漏れていた空気が、ぜんぶ音に変わる。あのため息が、息になる。リペアをやっていてよかったと思うのは、いつもその一音目だった。

あの日先輩が言ったことの意味が、いまならわかる気がする。私は楽器しか直せない。その人の吹き方の癖を、口で指摘することはできない。けれど、タンポの閉じ方を、コルクの厚みを、ほんの少し変えてやれば、その人は前より楽に吹ける。楽器の傷み方を見ることは、たぶん、その人を見ることでもあったのだろう。あの工房での一年が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。

いまも、音の出ない楽器が運ばれてくると、まず吹いてもらう。それから、ライトを点ける。漏れる光のひとつひとつに、その人の五年が、十年が、しまってある。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。