月曜の、束
処方箋の厚みで、町の一週間を量る

カミヤリツコ(46歳・調剤薬局事務22年)

朝、受付のトレイに積まれた処方箋の束を見れば、その日の忙しさはだいたい分かる。私の仕事は紙を受け取り、保険を確かめ、点数を計算し、控えを綴じることだ。薬を調えるのは薬剤師、私は紙だけを見る。けれど二十二年も束をめくっていると、束の厚みのほうが、時計より先に一日を教えてくれる気がする。

月曜は、厚い。窓の外にはまだ朝の光がやわらかく差していて、待合の椅子はもう半分埋まっている。土日に我慢した人、週末に少し悪くしてしまった人が、月曜の朝イチでまとめて来る。受付番号の進み方が、平日とはまるで違う。九時の開局で、もう十二番、十五番と進んでいく。連休明けは、その厚みがさらに増す。束を手に取った瞬間の重さで、ああ今日は昼が抜けるな、と思う。

曜日には、それぞれ性格のようなものがある。金曜は「週末分まとめて」の長い処方が多い。日数が二十八日、三十日と書かれた紙が増えて、束は薄くても一枚一枚が重い。水曜は、近所の整形外科が休診だから、薄い。その薄い水曜の午後、受付番号がぽつりぽつりとしか進まないとき、薬局はとても静かになる。

季節も束に出る。小児科の処方は、季節そのものだ。春は鼻の薬、夏はとびひの軟膏、冬になると咳と熱の薬が一気に増える。小さな名前の薬が並ぶ束を見ると、ああ今年も来たな、と分かる。子どもの薬は量が体重で決まるから、同じ薬でも数字が一人ずつ違う。その細かさが、季節の手触りだった。

そしてインフルエンザの流行は、束に一週間早く現れる。学校が学級閉鎖を出すより先に、薬局はもう知っている。同じ抗ウイルス薬の名前が、月曜の束に三枚、四枚と続けて出てくる。点数を打ちながら、ああ今年は早いな、と思う。ニュースが流行を報じるころには、私たちの束はもうそのピークを過ぎている。紙は、町の体調をいちばん早く知っているのかもしれない。

月末月初は、別の意味で重い。レセプトの締め日が近づくと、束の薄い午後とは打って変わって、夜が長くなる。一点は十円、一円ずれれば返ってくる。私は数字に対しては嘘をつかない訓練を受けているから、一枚一枚を照らし合わせて、夜なべをする。蛍光灯の下で束を繰る音だけが響いて、なんだか心細い気持ちになったりもする。

束の薄い午後は、静かだ。受付番号は進まず、待合の椅子も空いていて、私は綴じ終えた控えをそろえながら、お薬手帳の忘れ物のことを考えたりする。手帳を忘れる人は、たいてい急いで来た人だ。だから忘れ物の多い日は、それだけ町が少し慌てている日でもある。薬剤師への声かけも、薄い午後はゆっくりできる。署名のある紙を「これ、変更不可です」と渡す、その一声の間が、忙しい月曜とはまるで違う。

二十二年、私は束の厚みを手で量り続けてきた。月曜の厚い束、水曜の薄い束、金曜の重い束。流行が来る前の、続けて出る同じ薬の名前。束の厚さは、いわばこの町の体温なのだ。私は薬の効能は語れないけれど、束の厚みなら、誰よりも早く読める。それが、紙だけを見てきた二十二年の、私のささやかな自負なのかもしれない。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。