流れた品物の、値札
店を継いで一年目、期限と猶予の観察者になるまで

カナイヒロシ(58歳・質屋三代目)

質屋というのは、品物を買う商売ではない。預かる商売である。客が腕時計を持ってくる。私はそれに金を貸し、引き換えに品物を蔵で預かる。利息を付けて元金を返してくれれば、品物は客の手に戻る。返せなければ、品物は店のものになる。私が査定するのは品物だけだ。客の事情は、帳簿には書かない。

店を継いだのは一九九三年、二十五歳のときだった。祖父が始め、父が継ぎ、三代目が私である。父は查定のとき、客の顔を見なかった。ルーペを目に当て、時計なら裏蓋を開け、地金なら端を少し削って、品物だけを見ていた。「人を見ると、値が狂う」。それが父の口癖だった。

預かった品物には、質札を結びつける。預かり証の番号と同じ番号を、和紙の札に筆で書く。蔵の中では、品物はもう名前を持たない。「三〇四番」「三〇五番」。番号と、流質期限の日付。それだけだ。蔵の中の静けさの中で、時が止まったように、番号たちは期限の日を待っている。

流質期限は三か月。期限が過ぎ、利息も元金も払われなければ、品物の所有権は店に移る。これを「質流れ」という。法律で決まった手続きで、情も容赦もない。蔵は湿度を保たねばならない。革は乾けば割れ、時計は湿れば錆びる。父は毎朝、蔵の湿度計を見るのを欠かさなかった。預かりものを傷めれば、店の信用に関わるからだったと思う。

継いで一年目のある日、一つの腕時計が流れた。三か月前に、ある男が持ち込んだものだった。スイス製の、それなりに値の張る時計で、私は父に教わった通り、裏蓋を開け、機械を確認し、金額を決めた。男は黙って金を受け取り、質札の控えを財布にしまって出ていった。私は男の顔も、事情も、帳簿に書かなかった。書く欄がないからだ。

期限の日が来た。男は来なかった。利息の入金もなかった。父は淡々と、その時計を蔵から出してきた。布で機械を拭き、ガラスを磨き、革ベルトに油を入れた。「三〇四番」の質札を外し、かわりに店頭の値札を付けた。私はそのとき、はっとした。預かり証の番号だったものが、商品になった瞬間だった。同じ時計なのに、もう誰のものでもなく、店のもの——売り物になっていた。

父の付ける中古品の値札は、独特の書体だった。角張った、少し右上がりの数字。仕入れ値ではなく、貸した金と利息を足した額に、店の利を少し乗せる。根拠のある数字だ。私はその値札を、店頭のガラスケースに並べた。流れた時計は、いくつもの他の品物と並んで、誰かに買われるのを待つことになった。

それから半月ほどして、あの男が店に来た。買い物に来たのではなかったと思う。ガラスケースの前に立ち、自分が持ち込んだ時計を、しばらく見ていた。値札も見たはずだ。男は何も言わなかった。店員にも、私にも。やがて、静かに店を出ていった。私は声をかけなかった。かける言葉も、かける資格も、私にはなかった。

あれから三十三年。質屋とは何を売る商売かと問われれば、いまの私はこう答える。私たちが売っているのは、品物そのものではない。「手放したくない」と「手放す」のあいだの、三か月という猶予だ。客はその猶予を買いに来る。流れた時計が、私をいまの私にしてくれた。以来、私は品物を査定しながら、ずっと、期限と猶予を観察し続けている。蔵の湿度計は、今日も静かに数字を指している。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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