カナモリシュン(48歳・養蜂家26年)
養蜂を二十六年続けている。仕事の始まりはいつも、燻煙器に火を入れることだ。枯れた杉葉を詰めて、ふいごを二、三度押すと、白い煙が立ちのぼる。この煙を巣門に少し送ると、蜂たちは気を鎮める。煙の量を覚えるのに一年かかり、煙を出しすぎないことを覚えるのに、もう一年かかった。
養蜂家の仕事の中心は、内検と呼ばれる作業にある。巣箱を開け、巣板を一枚ずつ引き上げて、蜂の様子を確かめる。蜜がどれだけ溜まったか、幼虫は育っているか、女王蜂は元気か。巣板を持ち上げる手つきには、力を入れてはいけない。蜂を潰せば、巣箱全体が殺気立つからだ。指の腹で、そっと持ち上げる。
父の養蜂を継いだのは二〇〇〇年、私が二十二歳の春だった。山にはまだ朝霧が残っていて、養蜂場には花の蜜と蜜蝋の甘い匂いが静かに満ちていた。父はもう手が震えるようになっていて、その年から内検の多くを私が担うことになった。私は意気込んで、巣板の蜂を一匹ずつ数えようとした。蜂の数が群れの強さだと、本で読んでいたからだ。
父はそれを見て、笑った。そして言った。「蜂を数えるな。巣箱を持て。重ければ蜜が入っている、軽ければ花が終わっている。巣箱の重さは山の暦だ」。私はその意味を、しばらく考えていた。父は数字を読むのではなく、両手で巣箱の四隅をつかんで、ほんの少し持ち上げる。その重さの違いだけで、山にいま何の花が咲いているかを言い当てた。
女王蜂の探し方も、父のやり方は違っていた。私は一匹ずつ目で追って探そうとしたが、父は巣板を遠くから眺めて、「働き蜂の動きの中心を見ろ」と言った。働き蜂は女王のまわりに渦を巻くように集まる。その渦の真ん中に、背中に色を塗った女王がいる。蜂たちは健気に、自分たちの母を守ろうと身を寄せ合っていた。その姿は、見ていて胸を打つものがあった。
花は季節とともに移っていく。春の菜の花から、初夏のアカシア、夏の栗や百花へ。花を追って、私たちは巣箱をトラックに積み、夜の山道を移動する。蜂は夜に眠るから、巣門を閉じて運ぶのは日が落ちてからだ。荷台に並んだ巣箱の重さが、トラックのサスペンションを沈ませる。その沈み込みでも、私は蜜の入りを知るようになった。
秋になると、スズメバチが来る。巣門の前に陣取り、出入りする蜜蜂を一匹ずつ捕らえていく。放っておけば群れは全滅する。私は巣門に捕獲器を取り付け、ペットボトルの罠を吊るす。刺されることにも、いつしか慣れた。だが慣れてはいけない。慣れと油断は紙一重で、その線を踏み越えた者から、大事故を起こすのだと思う。
採蜜の朝は、まだ暗いうちに始まる。蜜蓋を薄く切り落とした巣板を、遠心分離機にかける。ハンドルを回すと、遠心力で蜜が壁に飛び、とろとろと底に溜まっていく。回転の音と、蜜の匂いと、夜明けの光。この一連の作業のことを、私はうまく言葉にできない。ただ、巣箱が軽くなった分だけ、瓶が重くなる。それだけは確かだ、と思う。
あれから二十六年。何百回巣箱を持ち上げたか、もう数えていない。養蜂とは蜜を採る仕事だと思われがちだが、本当は、自然と共に生き、命の循環に寄り添う仕事なのだと、いまでは思う。蜂を数えるな、巣箱を持て――あの春に父がくれた言葉が、私をいまの私にしてくれた。今朝も私は、巣箱の四隅に手をかけて、山の暦を読んでいる。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。