部品の、行き先(第二稿)
解体工一年目、車を仕分けると知った日

カナスギレオ(38歳・自動車解体業16年)

車が一台ヤードに入ると、まず液を抜く。ガソリン、ブレーキフルード、冷却水、最後にエンジンオイル。ガソリンは鼻を刺す匂いで、オイルは黒くて重い。床下のドレンを開けて、全部受け皿に落ちきるまで、車種にもよるが小一時間。これが終わるまで、解体には一切手をつけられない。火がつくからだ。十六年、毎朝この順で抜いてきた。

就いたのは二〇一〇年、二十二歳のとき。車が好きだったわけではない。職に困って入った。最初の数日は、ただ手が遅くて、先輩に置いていかれるのが怖かった。

解体は壊すことだと思っていた。叩いて、こじって、鉄を鉄でなくす仕事だと。入って間もないころ、先輩に言われた。「壊してるんじゃない。仕分けてるんだ。この車の八割は、形を変えてまだ走る」。八割。叩き潰しているつもりの一台の八割が、どこかで生き延びる。その数字が頭から離れなかった。

使える部品は外して棚に並べる。いちばん売れるのはヘッドライト、それからミラー。ぶつけて真っ先に割る場所だからだ。外したばかりのエンジンは、油でまだ温かい。ドアは丁番のボルト四本で、一枚外すのに慣れて五分。棚に立てかけたドアには車種と年式を白いペンで書く。それはもうこの車のドアではなく、次の誰かの車のドアだ。

十万キロ超の車と、三千キロの事故車では、手つきがまるで違う。長く走った車は、熱でボルトが固着して、最初の一本がいちばん固い。回りだせばあとは早い。事故車は逆で、潰れた鉄が部品を噛んで離さない。そして事故車にはエアバッグがある。展開していない火薬を抱えた部品は、専用の手順でコネクタを抜いてからでないと外せない。人を守るための装置が、外す側にとってはいちばん危ない。

車内には私物が残っている。お守り、CD、後部座席のチャイルドシート。一度、ほとんど新品のチャイルドシートが付いたままの軽が入ってきた。事故の車だった。私物は持ち主に返す手続きを取る決まりだが、あのシートは引き取り手がつかず、しばらく棚の隅に置かれていた。誰のものか、なぜ返らないのか、僕は訊かなかった。訊かないのも、この仕事のうちだ。

外したエンジンやミッションの何割かは、コンテナに詰めて港へ送る。日本車は右ハンドルだから、同じ右側通行の国が指名で買っていく。型番を見て、この国はこのエンジン、と業者が決める。詰める順は重いものを下、奥から。地球の裏側のどの道を走るのか、僕は知らない。知らないまま、コンテナの扉を閉める。

最後に残った車体は、プレスにかける。鉄の塊が、低い音を立てて潰れていく。あの音だけは十六年経っても慣れない。けれど潰れていくのは、もう車ではない。液も部品も私物も、行くところへ行ったあとの鉄だ。先輩の言葉は、いまも正しい。八割は、まだ走っている。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。