窓を、拭く側(第二稿)
二〇〇〇年、給油口の前でタイヤを見ろと言われた日

カラサワユウジ(48歳・ガソリンスタンド店長26年)

ノズルは三本ある。赤がレギュラー、黄がハイオク、緑が軽油。給油口に近づく前に、私はいまでも口に出す。「軽油でよろしかったですか」。二十六年、この一言を省いたことはない。

二〇〇〇年の春、二十二歳でフルサービスの店に入った。客は車から降りない。給油も、窓拭きも、灰皿の掃除も、こちらがやる。新人の持ち場は窓拭きだった。給油している数十秒のあいだに、ワイパーを上げ、スポンジでなで、スクイジーで水を切る。運転席の客と、ガラス一枚をはさんで向き合う。会釈をする人もいれば、こちらを見もしない人もいた。

先輩がひとりいた。三十をいくつか過ぎた、無口な人だった。ある日、私が窓を拭きながら助手席のほうへ目をやったのを、見ていたらしい。客が出ていったあと、先輩は言った。「窓を拭きながら車内を見るな。タイヤを見ろ」。

意味がわからずにいると、先輩は隅のワゴンを指さした。「あれ、左前だけ減ってるだろう。配達の車だ。一日じゅう左に寄せて停めて、左折ばかりするとああなる。縁石でこする。荷を積んで前が下がる」。たしかに左の前輪だけ、溝が浅かった。タイヤの減り方には理由がある。私はその日、初めてタイヤを「理由から」見た。次の客が来たとき、私は窓を拭き終えてスクイジーを下ろし、ノズルを戻しに回る動線で、しゃがまずにタイヤの横を一度通った。それだけで溝が見えた。先輩は何も言わなかった。

常連がいた。古い軽自動車の年配の男性で、いつも同じ時間に来た。会話はほとんどない。窓を拭くと、ガラス越しに小さく会釈をしてくれる。それだけだった。私はその車の右の後ろのタイヤが、毎月すこしずつ空気を失っていくのを見ていた。スローパンクだ。「空気、見ておきましょうか」と声をかけ、ウォッシャー液が減っていれば足した。その人の名前は、ついに知らないままだった。

やがて店はセルフに変わっていった。セルフ化で消えたのは、窓拭きという作業ではない。客の車に触れる口実だった。窓を拭く数十秒がなくなれば、タイヤを見る数十秒も、同時になくなる。空気の抜けかけた後輪に気づく人間が、給油所からいなくなるということだ。私が店長になった店も、半分はセルフにした。

それでも、フルサービスのレーンを一つだけ残している。冬は灯油を配り、洗車機の予約を受け、ゲージをタイヤの溝に当てる。先日、若いアルバイトが窓を拭きながら車内をのぞいていた。客が出たあと、私は言った。「車内を見るな。タイヤを見ろ」。その子が次にどこを通るか、私はノズルを片づけながら、横目で見ていた。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。