カタオカレン(44歳・スケートリンクの整氷18年)
四時半に、私はリンクの照明を半分だけ点ける。一般営業は十時から。その前の五時から七時半までは、フィギュアの選手とコーチだけの貸切だ。観客席は暗いまま、白い氷だけが浮いている。私はまだ誰も滑っていない氷を整氷車で一周だけ撫でて、選手を迎える。
貸切の氷には注文がつく。硬めか、柔らかめか。硬さは氷温で作る。氷の下を流れる不凍液を、マイナス五・五度かマイナス六度か、その半度で決める。下げれば硬く、上げれば柔らかい。硬め、と言われた朝は、撒く湯も二割減らす。湯を厚く張れば、その分だけ表面がやわらかく仕上がるからだ。氷温と湯量、二つのダイヤルで、私はその子の足元を作る。
硬い氷はエッジが噛んで踏み切りが安定し、柔らかい氷は着氷の衝撃を逃がす。大会前で踏み切りを固めたい子は硬めを、足首に痛みを抱える子は柔らかめを欲しがる。だから注文は、その子のいまの体の話だ。先週まで硬めだった子が柔らかめに変えたら、私はダイヤルを回しながら、どこかを痛めたな、と知る。半度の判断の手前に、その子の事情が一つずつ積もっていく。
同じ選手は、同じ場所に穴を作る。トウが蹴った穴、ブレードが削れた弧。リンクのこのあたりはあの子のトリプルアクセルの踏み切り、向こうの隅はあの子のルッツの着氷。私の頭には、その朝に滑った全員の穴の地図がある。穴の位置を読めば、その子が今日どんな構成を跳んだかが分かる。練習の中身が、氷に書いてある。
七時半に選手が帰り、十時までの二時間半が私の本番だ。貸切の抉りは深い。フィギュアの穴は二、三ミリある。その底まで届くよう深めに削り、湯を張り直して、一般客が滑っても危なくない平らな鏡に戻す。選手はもういない、客はまだ来ない、誰のものでもない氷。私はそこを止まらず一筆書きで回りきる。
コーチとは挨拶と注文くらいしか話さない。けれど整氷を終えてリンクサイドを通るとき、年配のコーチが、首からストップウォッチを下げたまま、選手の方を見たまま、手すり越しに「今日の氷、いいね」と言うことがある。私の方は見ない。たったそれだけだ。それで、その朝の半度の判断が正しかったと分かる。賞状も評価表もない仕事だから、私はその一言を待っている。
大会前の朝は、選手が同じ場所を念入りに何度も踏み直す。靴のエッジが氷を擦る音が、いつもより長く続く。整氷を待つあいだ、誰もリンクに降りてこない数分がある。私はその数分を、整氷車の運転席から見ている。声はかけない。励まさない。「見ていても、見ていない顔をする」——運転席の高さからは、ガラスを一枚隔てたように、選手の息づかいが遠い。
ある朝、いつもの子の踏み切りの穴が、拳ひとつぶん手前にずれていた。穴も浅い。一ミリあるかないかだ。回転が足りずに、氷を蹴りきる前に降りている。コーチがまだ何も言わないうちに、私は氷だけでそれを知ってしまった。何も言わない。言う立場ではない。ただ、その浅い穴の底まで届くように、いつもより〇・二ミリ深く削って、平らに戻す。明日の朝、同じ場所がまた手前にずれているか、元に戻っているか。私は誰よりも先に、それを氷で読む。