カタオカレン(44歳・スケートリンクの整氷18年)
氷の厚さを、私はセンチで言わない。リンクの氷はだいたい四センチだが、私が一日に動かすのはその表層の、ミリの話だ。整氷車のブレードは一周で〇・三ミリほど削る。湯を撒いて〇・三ミリ張る。削った分だけ戻す。それを何度も繰り返して、傷だけを持っていく。
整氷車という車がある。営業の合間にリンクを周回して、後ろのブレードで表面を薄く削り、削りかすを巻き上げながら、最後に温かい湯を撒いて新しい膜を張る。冷たい水ではなく湯を使う。湯は撒いた先で薄く広がって空気を抜きながら凍るので、平らになる。冷水は撒いた瞬間に縮れて、表面に細かい凹凸を残す。氷を作るのに温かいものを使う。入った年、私はこの順序が逆だと思い込んでいた。
二〇〇八年、二十六歳でこの管理会社に入った。最初の数週間は先輩の助手席で削れていく氷を見ていた。ある夜、私が「何ミリ削るんですか」と訊くと、先輩はハンドルを握ったまま言った。「削ってから撒け、は誰でも知ってる。何ミリ削って何リットル撒くかは、氷に聞け」。
氷に聞く、とは傷を見ることだった。一般滑走の日は、エッジの浅い線が走るだけだから、〇・二ミリ削れば足りる。フィギュアの後の氷は違う。踏み切りと着氷の場所に、トウが蹴った穴が空く。深いものは二、三ミリ抉れている。その日は穴の底まで届くよう深く削る。客の少ない日に同じ三ミリを削れば、削りすぎて翌日まで薄いままだ。傷を見て、今日は何ミリ、と決める。先輩が氷に聞けと言ったのは、これだった。
運転にはラインがある。ブレードの幅のぶん、端から少しずつ重ねて一筆書きで回りきる。重ねが足りないと湯の撒きムラが残り、凍ると表面が波になる。入って二月目、私はフェイスオフサークルの内側で重ねを誤った。翌朝、朝練の選手が同じ場所で二度つまずいた。波だ。私が作った波だった。先輩は怒らず、「お前の手の跡だ」とだけ言った。傷を消す車に乗って、私は自分の跡を一つ刻んでいた。
朝の貸切はフィギュアの選手たちのもので、彼女たちは氷の硬さを注文してくる。硬めに、あるいは柔らかめに。硬い氷はエッジが噛んで踏み切りが安定し、柔らかい氷は着氷の衝撃を逃がす。硬さは氷温で作る。氷の下を流れる不凍液の温度を、コンマ五度上げれば柔らかく、下げれば硬くなる。マイナス五・五度かマイナス六度か。その半度を、私は手元のダイヤルで決めていた。
夜はホッケーだった。急停止のたびに氷が雪になって飛び、パックが叩きつけられ、選手が転ぶ。フィギュアの穴が点なら、ホッケーの傷は面だ。表面がささくれ立って白く濁る。だから夜の最終整氷は、その日いちばん深く、〇・五ミリ落とす。営業が終わり、客も選手も帰ったリンクを、私は一人で回りきる。車を降りると、傷のない氷が一面に残っている。テールランプの赤が、その上に細く伸びていた。誰も滑らない氷。明日には穴も線もまた空くと分かっている、私だけが見る氷。
十八年、私が削った傷は数え切れない。一つも覚えていない。覚えているのは、自分が作った波の場所と、消すのが惜しかった夜の氷のほうだ。フィギュアの二、三ミリ。ホッケーの白い濁り。フェイスオフサークルの内側の、私の跡。