切り接ぎの、刃
農場一年目、切り口の観察者になるまで

カトリシズク(38歳・果樹苗の接ぎ木職人16年)

接ぎ木という仕事を十六年続けている。病気に強い台木に、増やしたい品種の枝——穂木という——を継いで、一本の苗にする。二つの切り口を合わせて、テープで巻いて、あとは待つ。切り口と切り口が癒着するまでの数週間を、私は毎年、何千回も待っている。命を継ぐ仕事だと、人はよく言う。

初めて農場に入ったのは二〇一〇年、二十二歳の春だった。果樹の苗木を生産する農場で、その年の親方は、台木の束を私の前に置いて、こう言った。「接ぎ木は切り口が九割だ。形成層を合わせろ。ずれたら水が通らない」。形成層、というのは、樹皮のすぐ内側にある、ごく薄い、生きた層のことだ。台と穂の、その層と層を、線で合わせる。

窓の外には春の柔らかな雨が降っていて、作業場には木の青い匂いが静かに満ちていたように思う。台木は鉛筆ほどの太さで、穂木は芽を二つ三つ付けた短い枝だった。私はそのとき、ただの細い木の棒にしか見えていなかった。形成層がどこにあるのかも、よく分かっていなかったのだと思う。

親方の手元を見た。接ぎ木刀という、片刃の小刀だ。台木の側面を、上から下へ、一息で削ぐ。スパッ、という音がして、白い切り口が現れた。続いて穂木の下を、同じ角度で削ぐ。二つの切り口を合わせると、それは一本につながったように見えた。「切れない刃は、細胞を潰す」と親方は言った。潰れた細胞は癒着しない。だから刃は、毎朝研ぐ。

私もやってみた。台木を削いだが、切り口は平らにならず、段になった。穂木を合わせても、層と層は、どこかでずれていた。「水が通らんな」。親方はそれを見て、巻きもせずに脇へ置いた。形成層は、目を凝らしても、私にははっきりとは見えなかった。緑とも白ともつかない、ごく細い帯。たぶんあのあたりだろう、と思って合わせる。その「たぶん」が、職人と素人の違いなのかもしれない。

接ぎ木には暦がある。春は切り接ぎ。樹液がまだ動き出す前の枝を、台に継ぐ。夏は芽接ぎ。芽を一つだけ、台木の樹皮を開いて差し込む。同じ「継ぐ」でも、樹液の動きに合わせて工法を変える。木が水を上げている時期と、休んでいる時期では、切り口の塞ぎ方が違うのだ。木の都合に、人が合わせる。

合わせた切り口は、テープで巻く。これがまた難しかった。きつく巻きすぎれば、膨らもうとする組織を締めつける。緩ければ、隙間から水が抜けて切り口が乾く。活着するまでの数週間、テープは固定と保湿を同時に引き受ける。私は最初、力いっぱい巻いて親方に叱られ、次は緩く巻いてまた叱られた。加減、という言葉の意味を、指で覚えるしかなかった。

そして春が来る。活着したかどうかは、穂木の芽が動くかどうかで分かる。芽がふくらみ、緑が出れば、台と穂は一本になった。動かなければ、テープを解く。失敗した接ぎの切り口は、黒く乾いていた。水の通らなかった切り口。あの「たぶん」がずれていた切り口だ。一本の親木——穂木を採る原木——から、何万本もの苗が増えていく。その大本の品種を守るために、親木は別に大切に管理される。私が継いでいたのは、たった一本の苗であると同時に、その系譜の末端でもあった。

あれから十六年。何千回、切り口を合わせたか、もう数えていない。接ぎ木とは命を継ぐ仕事だと思われがちだが、本当は、二つの切り口が出会う一点を、ただ正確に見る仕事なのだと、いまでは思う。私はあの日から、切り口の観察者になった。形成層の、あの細い線を見つめ続けてきたあの春が、私をいまの私にしてくれた。研ぎ上げた刃は、今日も朝の光を静かに返している。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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