フラスコの、在庫
準備室一年目、割れる数を見込むと決めるまで

カヤノフミ(49歳・中学校の理科準備室助手23年)

理科準備室で二十三年、実験の準備と片付けをしてきた。授業が始まる前にフラスコを並べ、授業が終わると、割れた数を数える。これが私の一日のかたちで、もう二十三年、その形は変わっていない。

準備というのは、班の数だけ器具を揃えることから始まる。六つの班があれば、ビーカーが六つ、スタンドが六つ、薬さじが六つ。フラスコは班分けのかごに分けて入れる。薬品は天秤で量り分ける。一グラム、二グラム、班ごとに小さな薬包紙に包んで、かごに添える。この作業をしているとき、教室にはまだ誰もいない。

助手になった最初の年、ベテランの先生に言われた言葉を、いまでも覚えている。「割れる数を見込んで準備して。割れない実験は、たぶん何もしていない実験だから」。割れたフラスコの数は、その授業がどれだけ動いたかの目安なのだ、と先生はそういう言い方をした。割れない日が続くと、先生はむしろ少し心配そうな顔をしていたと思う。

薬品庫には鍵がかかっていて、開けるたびに施錠簿に時刻と名前を書く。誰が、いつ、何のために開けたか。塩酸や硝酸銀の瓶が並ぶ棚は、ひんやりとして、独特の匂いがする。私はこの簿冊の管理を任されていて、一日の終わりに鍵をかけ、最後の行に自分の名前を書く。その一行を書くと、今日が終わったのだと分かる。

リトマス紙の使用量を見ていると、いま各学年がどのあたりを習っているのかが分かる。一年生が酸とアルカリに入ると、赤と青が両方どんどん減っていく。三年生になると、減り方が穏やかになる。私は箱の減り具合で、校舎全体の理科の進み具合を、なんとなく感じ取っている。誰に報告するわけでもないけれど。

夏休みには器具の棚卸しをする。フラスコを一つずつ取り出して、口の欠けがないか、ひびが入っていないかを光にかざして確かめる。アルコールランプの芯を新しいものに替え、ガラス管の細工が必要なものは、火であぶって自分で曲げて直す。誰も見ていない準備室で、ガラスの曲がる音だけがしている時間が、私は嫌いではない。

実験がうまくいったときの歓声は、廊下まで聞こえてくる。何かが光った、色が変わった、音が出た。その歓声を、私は準備室で聞く。準備室には、歓声は届かない。代わりに届くのは、授業が終わって戻ってくる器具のかごと、「ありがとうございました」の一言だけだ。それで足りる、と私は思っている。たぶん、それで足りるのだと思う。

放課後、戻ってきたかごから割れたフラスコを拾い出して数える。今日は三つ。報告の書式に、品名、数量、破損理由を書き込む。「実験中の落下による」。同じ文言を、二十三年で何百回書いただろう。窓から夕陽が差し込む準備室で、割れたガラスを新聞紙にくるんでいると、なんだか、これも一つの仕事の終わりなのだと、しみじみ思う。

成功を数える人と、割れた数を数える人がいる。私はずっと後者だった。歓声の側ではなく、器具が静かに返ってくる側に、二十三年いた。けれど、その割れた数の一つひとつが、誰かが何かに手を伸ばした証なのだと思えば、それはそれで悪くない。割れた数を数えてきたこの二十三年が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。明日もまた、班の数だけフラスコを並べる。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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