セリの、指
花市場一年目、会場を読むと教わるまで

カザマツリトキオ(49歳・花市場のせり人27年)

花のせり人を二十七年やっている。朝が早い仕事だ。世間がまだ眠っている時間に、その日の花の値段が決まっていく。せり台に立つと、目の前に切り花の箱がずらりと並び、その向こうに買参人の顔がある。私はマイクを握り、値段を言う。彼らは指で答える。一口あたり、ものの数秒。花のある暮らしを支える値段は、こんなにも静かに、こんなにも速く作られていく。

市場に入ったのは一九九九年、二十二歳の春だった。最初の一年は、ほとんど何も任せてもらえなかった。先輩のせり人の後ろに立って、ただ見ているだけ。せりというのは、ものすごい速さで進む。一日に何百口とさばくから、よどんでいる暇がない。一口に手間取ると、後ろがつかえて、相場全体が冷えてしまう。テンポが値段を作る、ということを、まず体で覚えさせられた。

せりが始まる前に、下見の時間がある。買参人たちが、その日の花を一斉に見て回る。私も先輩について、箱を覗いて回った。菊の茎がまっすぐ伸びているか、薔薇の花首がきゅっと締まっているか。茎が曲がっていれば値は落ちるし、花首がゆるんでいれば日持ちがしない。きれいな花だな、と思って見ていた私に、先輩は「お前は花を見るな。花を見る人間を見ろ」と言った。意味がよく分からなかったように思う。

その意味が分かったのは、入って半年ほど経った、ある朝のことだった。先輩がせり台でこう言ったのだ。「せり人は値段を読むんじゃない。会場を読むんだ。誰が欲しがってるか、顔と指で分かる」。そう言われて、私は初めて、せり台の上から会場をちゃんと見た。すると、見えてきたものがあったような気がした。

ある仲卸は、本当に欲しい花のときだけ、ほんの少し身を乗り出す。ある花屋は、競り合いになると、指を出すのが半拍遅れる。値が高くなりすぎると、口の端がわずかに下がる人もいる。手やり——指の本数で値を伝える、あの符号——を出す前から、もう顔に出ているのだ。会場の空気そのものが、値段になっていく。先輩が「会場を読め」と言った意味が、ようやく腑に落ちた。

手やりというのは、よくできた言語だと思う。声を出さずに、指の本数と握りの形だけで、買いたい値段が一瞬で伝わる。隣の人間に知られずに、せり人にだけ伝える。慣れた買参人の手は、ほとんど癖のようになっていて、見ているだけで気持ちが分かる。言葉より速く、言葉より正直なものが、この世にはあるのかもしれない。

相場には波がある。彼岸が近づけば菊が跳ね上がり、年末には全体が高くなる。逆に梅雨どきは安い。暦が、花の値段を作っている。生産者は一年かけて花を育てるけれど、その一年が、市場では数秒の値段になる。箱には生産者の名前が書いてある。安く落ちてしまう朝は、その名前を見るのが少しつらい。一年の手間が、こんな値か、と。そういうとき、私はなるべく何も考えないようにしている。

いまは機械ゼリの時代だ。買参人が手元の端末のボタンを押し、電光の数字で値が決まる。声のせりと並んで、電子のせりが回っている。指の符号は、少しずつ消えていくのかもしれない。それでも、と私は思う。端末のボタンを押すその指にも、迷いや欲が、きっと残っているはずだ。

あの朝、先輩に「会場を読め」と言われてから、二十七年。私はずっと、会場の空気の観察者だったのだと思う。花の値段を作っているようで、本当は、欲しがる人の顔を読んでいただけなのかもしれない。会場の空気が、俺をいまの俺にしてくれた。明日も朝が来れば、私はせり台に立ち、また誰かの指を読む。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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