打検の、耳(第二稿)
缶を叩いて中身を聴く、検査の世界の話

キサラギレナ(33歳・水産缶詰工場の品質管理11年)

缶詰は、開けて確かめられない。だから、叩いて聴く。打検という。きちんと密封された缶の中は、わずかな真空になっている。その缶を打検棒で弾くと、駅の発車ベルが鳴り止んだ直後のような、芯のある高い音が一拍で返ってくる。真空が崩れた缶は、その芯が抜ける。湿った段ボールを指で弾いたような、戻りの遅い音になる。打検士は、その戻りの速さを聴いている。

打検棒は、先に小さな鋼の玉のついた細い棒だ。ラインを流れてくる缶を、玉の側で次々に弾いていく。缶、缶、缶。一日に何千。教わった最初の夏、私は手につられて耳が止まった。叩くたびに、いま叩いたという感触が耳をふさいでしまう。手が勝手に動くようになるまで、耳は使えなかった。手を機械にして、はじめて耳が空く。それを覚えるのに、半年かかった。

最初の一年は、芯のある音と芯の抜けた音の区別が、頭ではわかっても耳に届かなかった。届いたのは、入って八月めだった。サバ缶のラインで、先輩が一缶を弾いて脇に寄せた。私も弾いた。戻りが、半拍遅い。たしかに遅い。「いまの、わかったか」と先輩が言った。切って中を見たら、内圧が上がっていた。芯の抜けた音と、ふくれた中身が、その日はじめて私のなかで一本につながった。

いまはどこの工場にも自動打検機がある。機械が缶を叩き、マイクが拾い、波形で弾く。速いし、疲れない。けれど私の工場では、機械を通った缶を、もう一度人が弾く。波形には出ないが耳には引っかかる缶が、月に何度か出るからだ。機械と人の二段構え。最後の関門は、人の耳のほうに置いてある。なぜ人を後ろに置くのか、入った頃は理屈で納得していなかった。八月めの半拍で、納得した。

あるとき、列の音のなかに、戻りの遅い一打が混じった。手は、わかったと思うより先に止まっていた。脇に寄せて弾き直すと、やはり半拍遅い。班長を呼び、ラインを止めた。その釜にさかのぼり、殺菌の温度チャートを見て、巻締めの断面を切った。原因は巻締めの緩みだった。一缶の半拍が、ラインの一日を遡らせた。流した何千缶のことは覚えていない。覚えているのは、止めたこの一缶だ。

耳は消耗品だ。連続して弾きつづけると、芯のある音と抜けた音の境目が、二十分ほどで滲んでくる。半拍遅い、が、遅い気もする、に変わる。だから打検には交代の決まりがある。一定の時間で人を替え、耳を休ませる。たかが耳に、と入った頃は思っていた。いまは決まりの分数より前に、自分で交代を申し出る。境目が滲んだ耳で弾いた缶は、流しても止めても、後で自分が信じられない。

缶詰の賞味期限は三年。今日弾いた何千缶の半拍は、三年後にどこかの誰かが開ける一缶につながっている。芯のある音は流し、抜けた音は止める。機械が見落とした一缶を、人の耳が拾う。十一年弾いてきて、いまも月に一度は、自分の耳が滲む前に棒を置く。止めた一缶を、私はそのたびに覚える。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。