コゴメタツヤ(53歳・漬物職人31年)
初冬の朝、蔵の前に契約農家のトラックが着く。荷台には泥のついた大根が山になって積んである。冬の到来を告げる、毎年の風物詩だ。私はまだ薄暗いうちから軍手をはめて荷台の脇に立ち、その山を一本ずつ受け取っていく。漬ける前の数週間、私の仕事は樽の中ではなく、外の干し場にある。
受け取りながら検品をする。泥のついたままの大根を手に取り、根の張り、肌の通り、又根になっていないかを見る。叩いて音を聞き、持って重みを量る。すが入った大根は、持つと軽い。手で持っただけで分かる気がする。山のうちの何本かは、ここではねる。土を落としきる前の、最初のふるい分けだ。
はねた大根は脇の籠に放る。検品を抜けた大根は洗い場へ回し、泥を落として皮の確認をする。水で洗うと、泥に隠れていた傷が出てくる。掘るときに鍬で当てた切り傷、虫の食った穴、凍みて変色した先。傷のある大根は、干すうちに必ずそこから悪くなる。干して悪くなる大根を、ここで抜く。洗いは、ただきれいにする作業ではないと思う。
洗って選んだ大根を、二本ずつ縄で縛り、竿に掛けていく。はさ掛けという。葉の付け根を縄でひと結びして、竿にまたがせる。一本ずつではない、二本ずつ、振り分けにして掛ける。それを何百、何千本とくり返す。掛けては縛り、掛けては縛り。単純な作業のあいだ、腰が先に音を上げる。夕方には、腰がへの字に曲がっている。
掛け終えた大根は、北風と日差しに当てて水を抜く。干し場は南向きの斜面に組んであって、北からの風が竿のあいだを通り抜けるようにしてある。風が通れば水の抜けが早く、滞れば黴が出る。日差しが当たり、北風が抜ける。冬の干し場は、自然が乾かしてくれているようでいて、本当は風の通り道を人が作っている。
雨の日は取り込む。濡らすと、せっかく抜けた水がまた戻り、干し直しになる。空を見て、降りそうなら竿ごと軒下へ寄せる。判断が遅れれば、何千本が濡れる。早すぎれば、せっかくの北風の一日を捨てる。降るか降らないか、迷う朝もある。そういう朝は、風のにおいで決めているのかもしれない。
干し加減は、曲げて決める。根元を持って先のほうへ曲げてみる。ぴんと張ったまま折れそうなら、まだ早い。への字に曲がって、根元と先がゆっくり近づき、しなって折れないくらいになれば、水が抜けたしるしだ。樽で仕込むときの曲げと同じ見方を、干し場では何千本にくり返す。指が、抜け加減を覚えている。
干していると、鳥が来る。つつかれた干し大根は、そこから先が傷んで使えない。だから干し場には網を張り、案山子を立て、空き缶を吊るして音で追う。古い知恵だが、効く。鳥も毎年来るやつは網の隙間を覚えていて、こちらも毎年張り方を変える。攻防、というほど大げさではないが、毎冬くり返している。
への字に曲がり、水の抜けた大根が、竿から下ろされて並ぶ。樽に入る前の、最後の列だ。検品ではね、洗いで抜き、北風に当て、鳥から守って、ここまで残った大根である。干しは、まだ漬物ではない。けれど干しが漬物の半分なのだ。樽の中で重石が引き出す水も、もとはこの数週間に北風が抜いてくれた水の続きなのだから。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。