コゴモリチヒロ(39歳・文楽人形のかしら修理17年)
文楽人形のかしら——首から上、顔の部分を、私たちはそう呼ぶ。桐の木を彫り、胡粉を膠で溶いて何層も塗り重ね、磨いて、人の顔をつくる。私は彫るより直すほうの仕事を、十七年してきた。
二〇〇九年、二十二歳で工房に入った。最初に任されたのは、剥がれた胡粉の下地起こしだ。古い白を竹べらの先で少しずつ起こす。膠で指がこわばって、夕方には親指の腹がてかった。胡粉は一度に厚く塗れない。薄く溶いたのを引いては乾かし、また引く。七層目あたりで、表面の艶がふっと変わる。そこからが顔だ、と先輩に言われた。梅雨は乾かず、一日に二度しか引けない。
師匠は寡黙だった。あるとき私が、剥がれたかしらを前に、きれいだったのに、ともらした。師匠は手を止めて言った。「かしらは道具だ。美術品じゃない。舞台で三人が遣って、汗を吸って、それで完成する道具だ」。それだけだった。
道具だ、が腑に落ちたのは、ある立役のかしらを預かったときだった。手に取って、まず横から斜めの光に当てる。剥がれは正面からは見えず、光を流してできる影で浮く。額の生え際の、向かって左の一点だけ、いつも同じ場所の白が薄い。なぜここばかり、と訊くと、師匠は「主遣いの親指だ」と言った。かしらを支える左手の、その人の親指の当たる場所。剥がれは傷ではなく、誰がどう遣ったかの記録だった。倒れる仕掛けの強い役のかしらは、後頭部の決まった一点が割れて戻ってくる。
その立役の下地を起こしていったとき、いちばん上の白の下から、黄ばんだ古い白が出た。師匠が「昭和の塗りだ。その下は、たぶん明治だ」と言った。何代もの修理師が、同じ顔の上に自分の白を重ねてきた。私が今いちばん上に引く一層も、いつか誰かが竹べらで下から見る。手が、少しだけ慎重になった。
夏は舞台がない。その季節にまとめて解体修理をする。仕掛けを全部ばらし、糸を張り替え、胡粉を直す。鬘を外したかしらの、顔だけになった木の頭が、台の上にいくつも伏せて並ぶ。丸い後頭部が、こちらに向いている。新しいかしらを一から彫る仕事は、めったに回ってこない。来るのは、いつも直しだ。
あれから十七年。届いたかしらを手に取ると、先に光を流す。どこが薄いか、どこが割れたか。その役が舞台でどう遣われ、どこで倒れたかが、白の薄い一点に残っている。直すというのは、その前に、読むことだ。読み終えてから、ようやく自分の白を一層、いちばん上に重ねる。台の上で、白い顔が一つ、横を向いて光を待っている。