コゴモリチヒロ(39歳・文楽人形のかしら修理17年)
夏は、舞台がない。客席に明かりの入らない季節に、工房だけが忙しくなる。公演が止まっているあいだに、一座のかしらをまとめて手入れする。六月のはじめ、桐の箱が届く。綿のあいだから、木地の色がいくつも覗いている。
箱の蓋に、座元の紙が一枚はさんである。秋に出る役の名と、手入れの軽重。立役、娘、敵役、順に並んで、いちばん上に「この三つは塗り替え、あとは見繕い」とある。優先順位の相談だ。私はその紙を、まず工房の壁に貼る。夏の手元は、この一枚から逆算する。九月の頭にかしらは稽古へ回る。彫りの補修は七月のうち、塗り替えは梅雨明けから盆まで、磨きと仕掛けの調整が八月の後半。
胡粉を溶くには膠がいる。鹿膠を水でふやかし、湯せんで溶く。冬なら鍋にしばらく置いておけるが、夏はそうはいかない。膠は夏に腐る。一日置けば糸を引き、匂いが変わる。だから夏は、その日に使う分だけを、その日に炊く。火が強いと膠が死んで、接着の力が落ちる。指を鍋肌に当てて、熱いが触れる、くらいで止める。六十度を超えると、もう戻らない。
娘のかしらは、痩せた一点だけ起こして上に重ねた。古い白を残せば、その下の昭和も、たぶん明治も、いつか誰かが竹べらの先で読める。けれど立役は、そうはいかなかった。鼻先が大きく欠けていた。新しい桐を継ぐには、継ぎ目のまわりの白を木地まで剥がさなければ、継いだ木が浮く。剥がす竹べらの先に、黄ばんだ古い白が出た。明治の塗りだ、と思った。継ぎを優先すれば、この一点の記録は消える。残すか、消すか。私は剥がした。鼻先を継がなければ、この立役は秋に出られない。下から読める白を一枚、私が消した。
彫りはいちばん怖い。塗りは何度でもやり直せるが、木は削ったら戻らない。継いだ桐に彫刻刀を入れて、先代の出した鼻の稜線につなぐ。一ミリ深く入れれば、この役の顔つきが変わる。刃を入れる前に、横から光を流し、もとの形を指でなぞる。なぞって、覚えて、それから一度だけ刃を入れる。
白い塗りは、湿気を嫌う。梅雨のあいだは、薄く溶いた胡粉を一日に二度しか引けない。引いては乾かし、また引く。乾ききらないうちに重ねれば、下の層が呼吸できず、あとで艶が曇る。だから本式の塗り替えは、梅雨明けを待つ。明けた朝、窓を開けると、工房の空気がからりと乾いている。その日から、一日に四度、五度と引ける。夏の白がいちばん澄むのは、梅雨が明けて少ししてからだ。
盆を過ぎると、塗り上がったかしらが棚に並ぶ。鬘をまだ着けない、白い顔だけの頭が、いくつも横を向いて乾いている。窓に近い段から乾くから、私は朝いちばんに、奥の段と入れ替える。眉も、目尻の紅も、まだ入っていない。立役の鼻先だけ、私の継いだ白がほんの少し若い。光を流すと、その一点が、まわりよりわずかに明るく返る。私はその列の前に立って、一つずつ、光を流して確かめていく。