夏の、塗り替え
公演の谷間に、かしらの白を入れ替える季節

コゴモリチヒロ(39歳・文楽人形のかしら修理17年)

夏は、舞台がない。客席に明かりが入らない季節に、私たちの工房だけが忙しくなる。公演が止まっているあいだに、一座のかしらをまとめて手入れする。眠る人形たちが、夏のあいだだけ私の手に預けられる。

六月のはじめ、桐の箱が届く。一座分のかしらが、綿にくるまれて伏せている。箱の蓋に、座元が書いた紙が一枚はさんである。秋に出る役の名と、手入れの軽重。立役、娘、敵役、順に並んでいて、いちばん上に「この三つは塗り替え、あとは見繕い」とある。優先順位の相談だ。私はその紙を、まず工房の壁に貼る。夏の時間割は、この一枚から始まる。

塗り替えるかどうかは、剥がすかどうかの判断でもある。古い胡粉を全部起こして木地まで戻すのか、痩せた一点だけ起こして上に重ねるのか。全面を剥がせば、下の層の記録も一緒に消える。昭和の白も、明治の白も、竹べらの先で剥がしてしまえば、もう誰も下から読めない。残すか、消すか。私はいつも、剥がす前にしばらく手を止めてしまうのかもしれない。

胡粉を溶くには膠がいる。鹿膠を水でふやかし、湯せんでゆっくり溶く。冬なら鍋にしばらく置いておけるが、夏はそうはいかない。膠は夏に腐る。一日置けば糸を引き、匂いが変わる。だから夏は、その日に使う分だけを、その日に炊く。火が強いと膠が死んで、接着の力が落ちる。六十度を超えないように、指を鍋肌に当てて、熱いが触れる、くらいで止める。冬と夏では炊き方が違う。季節が、鍋の温度を決めている。

白い塗りは、湿気を嫌う。梅雨のあいだは、薄く溶いた胡粉を一日に二度しか引けない。引いては乾かし、また引く。乾ききらないうちに重ねれば、下の層が呼吸できず、あとで艶が曇る。だから本式の塗り替えは、梅雨明けを待つ。明けた朝、窓を開けると、工房の空気がからりと乾いている。その日から、一日に四度、五度と引けるようになる。湿度が胡粉の艶を決める。夏の白がいちばん澄むのは、梅雨が明けて少ししてからだ。

彫りを直すこともある。長く遣われたかしらは、鼻先が欠け、口元がすり減っている。三人の手が触れ、舞台の床に当たり、何十年とかけて木が痩せていく。欠けた鼻先に新しい桐を継ぎ、彫刻刀で形を起こす。これがいちばん怖い。塗りは何度でもやり直せるが、木は削ったら戻らない。先代の彫師が出した一本の稜線を、私の刃が一ミリ深く入れれば、その役の顔つきが変わってしまう。刃を入れる前に、何度も光を流して、もとの形を指でなぞる。勇気というより、確かめだ。

秋の公演には、間に合わせなければならない。座元の紙には期日が書いてある。九月の頭に手元を離れて、稽古に回る。逆算すると、彫りの補修は七月のうち、塗り替えは梅雨明けから八月の盆まで、最後の磨きと仕掛けの調整が八月の後半。夏の工房には、夏の暦がある。涼しい言い方をすれば季節仕事だが、要するに、舞台のない夏にだけ、人形たちはゆっくり直してもらえるのだ。

盆を過ぎると、塗り上がったかしらが棚に並ぶ。鬘をまだ着けない、白い顔だけの頭が、いくつも横を向いて乾いている。化粧前の役者が楽屋の鏡の前に並んでいるようだ。眉も、目尻の紅も、まだ入っていない。けれど、もう秋の舞台を待つ顔をしている。夏の工房が、秋の舞台を支えるのだ。私はその白い列の前に立って、一つずつ、光を流して確かめていく。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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