コイデマナミ(44歳・スーパーの試食販売員20年)
新商品の初日は、空気が違う。朝、店に入ると、売り場の後ろに見慣れない背広の人が立っている。メーカーの営業だ。自分のところの新商品が、初めて客の前に出る日だから、様子を見に来る。窓の外には小雨が降っていて、開店前の店内には、まだ温まっていないホットプレートの金属の匂いが、静かに満ちていた。
調理指示書というものが、新商品にはついてくる。何分焼く、何ミリに切る、一切れの大きさ、塩はふらない。定番の商品にはそんなものはいらない。手が覚えているからだ。けれど新商品は、まだ誰の手も覚えていない。焼き加減も、切り方も、その紙に書いてある通りにやってみて、それで客の顔を見て、初めてわかる。初日というのは、その商品の正解が、まだどこにも無い日なのだと思う。
背広の人は、売り場の後ろから動かない。柱の陰のあたりに立って、手帳を出して、ときどき何か書く。私が一個を出すたびに、その手が動いているような気がする。営業の人にとっては、私の試食台が、自分の半年が通るか通らないかの場所なのだ。私は背中にその視線を感じながら、「いかがですか」と言う。たぶん、いつもより少しだけ、声が高くなっていたのだろう。
新商品の台でいちばん多い質問は、「これ、何に使うの」だ。この質問が多い日は、苦戦する。使い方が見えない商品は、おいしくても買われない。「これ、何に使うの」と訊く人の手は、爪楊枝を置いたら、もう財布に行かない。逆に、説明のいらない商品は強い。ウインナーに「何に使うの」と訊く人はいない。見ただけで、夕飯のどこに置くかが、もう客の頭の中にあるからだ。
試食をして、顔が変わる瞬間がある。口に入れて、眉のあたりが少しゆるんで、「あら」と言う。あの顔を、私は背広の人に見せたい。あなたの商品で、いま一人の主婦の顔が変わりましたよ、と。だから顔が変わった客が出ると、つい、後ろを振り返りそうになる。営業の人が、それを見ていてくれたかどうかを、確かめたくなる。
けれど、変わらない顔のほうが多い。口に入れて、何も言わずに、爪楊枝を置いて行ってしまう。その顔も、報告書に書く。「反応薄い」「使い方の質問多い」。営業の人に気に入られたくて、いい数字だけを書きたくなる日もある。でも、変わらなかった顔を書かない報告書は、嘘の報告書だ。初日にいい顔だけ書いて、定番にならなかった商品を、私は何十と見てきた。
初日の報告書には、欄がいくつかある。出た個数、爪楊枝の本数、客層、よく出た時間帯、そして「客の声」。この「客の声」の欄に、私は「何に使うの、が多い」と書く。営業の人は、たぶんその一行をいちばん嫌がる。けれど、その一行こそが、半年後にその商品が棚に残っているかどうかを、いちばん正直に言っている気がする。リピートしてくれる人の数は、初日の比率よりも、この一行の少なさに出る。
そうして何年か経って、あの初日の商品が、定番の棚に並んでいることがある。目の高さの、いちばん取りやすい場所。初日には「何に使うの」と訊かれていた商品が、いまは誰も訊かずにカゴに入れていく。その商品の試食を、数年ぶりにまた頼まれる日がある。台の前に立って、爪楊枝を差し出すと、客は「ああ、これ」と言って止まる。あの雨の初日を知っているのは、もう私だけなのかもしれない、と思う。
初日の三秒は、その商品の運命を決める三秒なのだ。焼き加減も、客の反応の型も、何個売れたら成功かも、すべてはあの初日に作られる。変わった顔も、変わらなかった顔も、私はこの二十年、ぜんぶ報告書に書いてきた。爪楊枝の本数を数えることは、新商品の未来を数えることでもあったのだと、いまでは思う。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。