コマツナナ(31歳・書店の文庫担当9年)
夕方のレジには、本を選び終えた人たちの静かな列ができる。蛍光灯の白い光の下で、私は一日に何百回も同じ言葉を口にしてきた。「カバー、お掛けしますか」。九年、この問いへの返事を聞き続けてきた。
返事は三通りしかない。「お願いします」と「結構です」、そして無言の頷き。この三つで、レジに立つ人のほとんどが分けられてしまう。声に出して頼む人、はっきり断る人、目だけで答える人。言葉は三つでも、その奥にある気持ちは、たぶんもっと豊かなのだろう。
カバーを掛ける本と掛けない本には、はっきりした傾向がある。自己啓発書のカバー率は高い。表紙に大きな文字で「成功」だの「習慣」だのと刷ってある本ほど、客はそれを隠したがる。逆に漫画は低い。隣にいる連れに表紙を見せてさえいる。本のジャンルは、その人が何を見られたくないかの地図になっている。
カバーは、読んでいる本を見せないための装置だ。だから電車で読む本ほど、カバーを頼まれる。家で読む本は裸でいい。人の目のある場所へ連れて行く本だけが、紙の服を着る。「これは電車で読むので」と一言添えてカバーを頼む人を、私は何人も見てきた。
カバー折りには手順がある。本を中央に置き、天地を測って上下を折り、左の袖に表紙を差し込み、右を巻いて裏表紙を入れる。文庫、新書、四六判、A5。サイズごとにカバーの紙を分けて、レジ脇の引き出しに立ててある。混んでいる夕方には、この折りの速さがそのまま列の長さになる。指が手順を覚えていて、私はもう本を見ていない。
しおりは、いつも同じ位置に挟む。最初の本文ページと表紙の間。客が家に帰って本を開いたとき、最初に指が触れる場所だ。レジが混んでいるときは、しおりを省く。カバーだけ巻いて、しおりは抜く。その小さな省略を、客はたぶん気づいていない。
季節限定のカバーを始めたとき、思いがけず反響があった。桜の柄、夏の海、紅葉。SNSに上げる人がいて、「この柄が欲しくて来た」と言う客もいた。一方で「エコのために」とカバーを辞退する人も、この数年で確かに増えた。レジ袋が有料になったあたりから、カバーもいらないと言う声が増えた気がする。本を隠す文化と、紙を使わない時代が、レジの前で静かにせめぎ合っている。
電子書籍には、カバーの概念がない。画面の中の本は、誰の目にも表紙を晒さない。隣の席の人に何を読んでいるか、もう永遠に知られない。紙の本を隠しながら持ち歩くという文化は、考えてみればずいぶん不思議なもので、電子の時代にはきっと、過去の習慣として懐かしがられるのだろう。本を読むという行為が、形を変えていく時代に私たちは立っている。
結局のところ、カバーとは、読書のプライバシーなのだ。何を読んでいるかは、その人の心の中身に近い。だからこそ人はそれを隠し、紙の服を着せて電車に乗る。私は今日もレジに立って、「カバー、お掛けしますか」と問う。返ってくる三通りの答えの奥に、隠したい気持ちと見せたい気持ちが、いつも静かに揺れている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。