コモリエミル(24歳・造園会社の見習い6年)
嵐の前の静けさ、という言葉がある。台風が来る前の日の庭は、たしかに不思議なくらい風がない。けれどその朝、軽トラに積むのは鋏や鋸ではなかった。番線と杭と、太い荷締めのロープだった。台風が近づくと、庭仕事は「切る」から「守る」に変わるのだと思う。
まず支柱を見て回る。一本ずつ手で揺すって、ぐらつくものを探す。八つ掛けの竹は、結束が緩むと風で木と一緒に暴れて、かえって幹を傷つける。緩んだところには杭を一本、増し打ちする。掛矢を振り下ろすと、乾いた土に杭が一発で十センチ入る日と、五回叩いても入らない日がある。台風前の土は、たいてい入りやすいような気がした。
植えて間のない若木は、幹を結束する。支柱に幹を縛るとき、棕櫚縄を直に幹へ巻くと、揺れたぶんだけ縄が皮を擦って削ってしまう。だから当て木をかませるか、麻布を一枚巻いてから縛る。守るための縄が木を傷つけることがある、というのは、刃物の研ぎと同じ理屈だと思った。八の字に縄を渡して、幹と支柱のあいだに少しだけ遊びを残す。きつく縛りすぎると、しなる力の逃げ場がなくなって折れる。
鉢物は移動させる。背の高い鉢は、軒下に寄せても倒れる。だから親方は、倒れるものは先に倒しておけ、と言った。最初は意味が分からなかった。守るために、自分で倒すのだ。風で勝手に倒れれば鉢が割れて根鉢が崩れるが、こちらが横にして寝かせておけば、鉢も枝も助かる。倒れるものを先に倒す。逆さまのようでいて、これがいちばん木を守る。
気をつけるのは、つい先日剪定したばかりの庭だ。切り口は風に弱い。太枝を落とした断面はまだ生木で、そこに強い風が当たると、乾く前に裂けが走ることがある。だから台風の前は、切ったばかりの庭ほど念入りに見回る。自分たちが開けた傷を、自分たちで案じて回るというのは、少し妙な気分でもあった。
台風の前の日は、電話がよく鳴る。「庭が心配で」と施主から掛かってくる。大きな松はどうか、塀際のキンモクセイは大丈夫か。私たちは、鉢は寝かせてください、物干し竿は外してください、と伝える。木そのものより、飛んで人に当たるものを先に片付けてもらう。庭の心配は、たいてい庭の外への心配でもあるのだと思う。
台風が抜けると、見回りが始まる。順番が決まっている。契約のある庭から回る。折れた枝の応急処置をして、被害の写真を撮る。保険のための写真は、全体と、折れた箇所の寄りと、二枚撮る。施主が落ち込んでいる前で淡々とシャッターを切るのは、最初は気が引けたけれど、記録を残すのも守ることのうちだと、だんだん思えてきた。
いちばん危ないのは倒木の処理だ。倒れて他の幹に寄りかかった木には、見えない張力がかかっている。曲がって耐えている幹に、考えなしに鋸を入れると、刃を入れた瞬間に切り口が跳ねる。「どっちに力が掛かってる、見てから入れろ」。新人のころ、親方の怒鳴り声で覚えた。怒鳴られて覚えた安全が、いまも私の手を止めてくれる。
台風一過の青空の下で、庭は折れ枝の匂いがする。切り口とは違う、無理に裂かれた木の匂いだ。私はそれを嗅ぎながら、折れた枝を拾い集める。守ることも、庭仕事なのだ。切るための一年があって、守るための一日がある。今日も私は、嵐のあとの庭で箒を持っている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。