遠近の、境目(第二稿)
一枚の中の度数の地図を、暮らしから読む

コオリヤマミチ(48歳・眼鏡店の検眼士26年)

遠近両用のレンズを客に出すとき、私はまず紙に丸を一つ描く。上の縁を指してここが遠く、下の縁を指してここが近く、その間を上から下へ矢印でなぞって、ここが累進帯です、と言う。一枚の中で度数が坂を下りていく帯。線は引かれていない。だから掛けた人は、自分の視線がいまどの度数にいるのかを、しばらく探すことになる。

先月、初めて遠近にした六十二歳の男性が、三日目に怖い顔で戻ってきた。階段の下りで、四段目から足が出なくなったという。視線を下げると足元が近用の度数で見えて、段の縁がにじむ。私はその場で枠を掛けてもらい、顎を引いてください、目で下を見ずに顔ごと下に向けて、と言った。彼は店の段差で三往復して、四往復目に「ああ」と言った。一週間後、今度は笑って来て、駅の階段を普通に下りた、と報告した。慣れの練習は、目ではなく首でする。

慣れる早さは人で違う。三日で階段を取り戻したあの男性は、もとが几帳面で、言われた通り首を動かす練習をした。同じ週に来た五十八歳の女性は、二週間かかった。聞くと、家では掛けず外でだけ掛けていた。累進は、断続的に掛けると目が地図を覚えない。だから私は、最初の十日だけは家でも掛けてください、と頼む。早く慣れる人と遅い人の差の半分は、掛けている時間の差だ。

初めて遠近を考える客は、四十代後半でやってくる。先日の四十七歳の会社員は、座るなり「最近、腕が短くなって」と言って、スマホを持つ手を顔から三十センチほど離して見せた。老眼、とは言わない。腕が短い、と言う。それは近くのピントが届かなくなったという正確な報告で、本人もそうと知って言い換えている。私はその言い換えに乗る。では手元が楽になる一枚を足しましょう、と。年齢の話は、しない。

累進帯には長さの選択がある。帯を長く取れば遠近の移り変わりがゆるく、左右に振ったときの揺れが少ない。短く取れば視線を少し下げるだけで手元に届くが、横の歪みが出る。夜に高速を走る人には長めを出す。一日机に向かう設計士には短めを出す。同じ老眼の度数でも、運転が一日の中心か、手元が中心かで、引く帯の長さが変わる。レンズ設計を選ぶことは、その人の一日の重心を、私が代わりに指で測ること。

「遠近に早すぎませんか」と訊かれたら、私は早めをすすめる。度がまだ浅いうちの累進帯は、傾きがゆるい。坂がゆるいうちに掛け始めれば、目は楽に地図を覚える。度が深く進んでから初めて掛けると、同じ累進帯でも傾きが急で、慣れるのに二週間が一月になる。だから私は、まだ要らないと言う客にも、いま作っておくほうが後で楽です、と一枚先を渡す。

遠近一本でいくか、近用をもう一つ持つか。これは決められない。一日中いろいろな距離を行き来する営業の人には、一本を出す。掛け替える手間がないほうがいい。一日八時間、製図台の上だけを見る設計士には、その台に合わせた手元専用の一本を別に出す。累進は狭い帯で手元を見るが、専用の一本は帯がない分、台の端から端まで一様に見える。私は二人に違う答えを出した。机の広さが、違ったからだ。

二十六年で引いた累進帯の長さは、覚えていない。覚えているのは、四段目で足が止まった人のことだ。三往復目までにじんでいた段の縁が、四往復目に止まった。「ああ」と言ったあの声。紙の丸の上に、私は今日も矢印を一本、上から下へ引いている。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。