コオリヤマミチ(48歳・眼鏡店の検眼士26年)
遠近両用のレンズは、一枚の中に度数の地図を持っている。上のほうが遠く、下のほうが近く、その間が累進帯。境目のないレンズなのに、視線をどこに置くかで世界の距離が変わる。人生にもそんな境目のない境目があるのだろうと、私は思う。レンズを通して、それを毎日見ている。
累進レンズの構造を客に説明するとき、私はいつも紙に丸を描く。上に「遠く」、下に「近く」、その間に矢印を引いて「累進帯」と書く。上から下へ、度数がなだらかに坂を下りていく帯。線で区切られてはいない。だから掛けた人は、最初、その地図のどこに自分の視線があるのかわからない。境目がないということは、自分で境目を見つけねばならないということなのかもしれない。
遠近に慣れるまでの最初の一週間、いちばん多く聞くのは「階段が怖い」という声だ。下を向いたとき、視線が近用部に入る。足元が手元の度数で見えてしまい、段の縁がにじむ。だから階段は、目だけ下げず、顎を引いて遠用部で見る。視線の使い方を、体ごと覚え直す練習だ。慣れの早さは人によってずいぶん違って、三日の人もいれば一月かかる人もいる。それぞれのペースがあるのだろう。
初めて遠近を考える客は、たいてい四十代後半でやってくる。「最近、腕が短くなった」と言う人がいる。新聞を遠ざけないと文字が結ばない、その仕草を自分で笑っている。老眼、という言葉を口にする人は少ない。だから私は、その言い換えを聞き取る。腕が短い、というのは、近くのピントが合わなくなったという報告だ。言葉の裏で、目はもう正直に年を数えている。
累進帯には長さの選択がある。帯を長く取れば、遠くから近くへの移り変わりがゆるやかで、揺れが少ない。短く取れば、視線を少し下げるだけで手元に届くが、横を向いたときの歪みが出やすい。運転が中心の人には長めを、机の上の手元仕事が中心の人には短めを。レンズ設計を選ぶことは、その人の一日のどこに重心を置くかを選ぶこと。暮らしの設計図を、レンズの上に引いている。
「遠近に早すぎることはありますか」と訊かれることがある。私は、ないとは言わないが、早めをすすめることが多い。度がまだ浅いうちに掛け始めたほうが、累進帯の狭い世界に目が慣れやすい。度が深く進んでから初めて遠近にすると、帯が急な坂になっていて、慣れるのに苦労する。早めに慣れておく、というのは、来るべき坂に備えて、ゆるい坂のうちに足を作っておくようなものだ。
遠近一本でいくか、遠用と近用を掛け替えるか。これも正解が一つではない。一日中いろいろな距離を行き来する人には、一本のほうが掛け替えの手間がない。机に向かう時間が長い人には、手元専用の一本をもう一つ持ったほうが、広い視野で楽に見える。私は両方を出して、どちらがあなたの一日に合うかを一緒に考える。提案は一つに絞らない。暮らしが一つではないからだ。
遠近のレンズには、境目がない。けれど人の暮らしには、遠くを見る時間と近くを見る時間の境目がある。その境目を、線のない一枚の上に写し取って、視線が自然に行き来できるように整える。境目のないレンズに、その人の暮らしの境目を写すのが、遠近を合わせるという仕事なのだ。私は今日も、紙に丸を描いて、上に遠く、下に近く、と書いている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。