一枚の、差(第二稿)
検眼士一年目、見えると楽の間を覚えるまで

コオリヤマミチ(48歳・眼鏡店の検眼士26年)

検眼枠に入れるレンズは、〇・二五ジオプター刻みで並んでいる。客の顔に枠を掛け、一枚ずつ差し替えて、どこで見えてどこで楽かを探る。視力を出すだけなら機械が出す。その先、その人が明日どの距離で何時間暮らすかは、機械の数字には書いていない。二十六年、私はそこを測ってきた。

二〇〇〇年、二十二歳でこの店に入った。最初の一年は店長の横で手元を見ていた。客が座る、店長はレンズを二枚続けて差し替える、客が答える前に次の一枚に手が伸びている。その指の運びを、私は覚えようとしていた。

初めて一人で測った客は、四十二歳の会社員だった。私は右目から、−二・〇〇に−〇・二五を一枚ずつ足していった。視力表のいちばん下が割れて見えるところまで。乱視の軸を九十度に合わせ、赤と緑の枠を見比べてもらう。「赤の数字のほうがはっきりします」。まだ足りる。もう一枚足した。緑が勝った。両眼で1.2。私はそこで止めて、これでよく見えますね、と言った。

度数表を覗いた店長が、私を呼んで言った。「視力を測るな。暮らしを測れ」。それから、「1.2が見える度数と、夕方まで楽な度数は違う」。緑が勝つまで足したあの最後の一枚が、過矯正だった。強い一枚は、よく見える。そのかわり目はピントを保つために力み続け、朝くっきりだったものが夕方には霞み、肩が張り、こめかみが痛む。客は「見える」と言う。「楽だ」とは言っていない。私は最後の一枚を抜いて、1.0で渡し直した。

それから私の仕事は、抜くべき一枚を探すことになった。レンズを二枚、続けて差し替えて訊く。「一枚目と二枚目、どちらが楽ですか」。客はすぐには答えない。あるとき、五十年配の女性が四秒黙った。視線が視力表から手元に落ち、また上がった。差がわからないのではない。間違えたくなくて黙っている。私は「どちらでも正解です、楽なほうで」と言った。彼女は二枚目を選んだ。弱いほうだった。差がわからない沈黙と、間違えたくない沈黙は、長さも、目の動きも違う。

度数は暮らしから決まる。夜に高速を運転する人には、対向車の標識が割れない強さを少し残す。手編みのセーターを編む人には、針の先が見える三十センチに合わせ、遠くは捨てる。一日七時間、画面まで七十センチの人には、その七十センチを楽の中心に置く。だから視力表より先に、何を、どの距離で、何時間見ますかと訊く。同じ1.0でも、行き先が違えば、抜く一枚が違う。

「まだ早い」と言う五十代には、老眼とは言わない。手元だけ〇・七五足しましょうか、近くがいまより楽になります、と言う。学校検診の紙を握って掛けたがらない子には、フレームを持たせて、軽いほうから合わせる。最後はテンプルを当て木に当て、ヤットコで右だけ二ミリ起こす。この子は左耳のほうが高い。鼻パッドを内に寄せると、レンズが目に寄って度がわずかに効く。顔は一人ずつ違う形をしている。指で一ミリずつ詰めるこの工程だけは、いまも機械に渡していない。

二十六年で出した度数は数え切れない。覚えていない。覚えているのは、抜いた一枚のほうだ。緑が勝ったあの一枚。四秒黙った人が選んだ、弱いほうの一枚。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。