コテガワユメ(29歳・遊園地のキャラクターアクター7年)
同僚が、辞める。今日が最後のシフトだ。けれどお客さんには、何も言えない。キャラクターは永遠で、中の人間が入れ替わったことになっていない世界だから、引退も、お別れも、存在しないことになっている。最後の出番を、私はすぐ横で見ていた。
朝、控え室の壁に貼られたシフト表を見た。彼女の名前の横に、いつもと同じ時間が並んでいる。けれど私は知っていた。この列のいちばん最後のグリーティングが、彼女の七年の、最後の三十分になることを。シフト表は何も言わない。ただの表だ。それでも私は、その一行を、しばらく見ていた。
身体が資本の仕事だから、卒業は早い。膝が、肩が、もたなくなる。結婚する人もいる。別の仕事に移る人もいる。理由はさまざまだけれど、辞めどきは、たいてい身体のほうが先に知っている。彼女は「もう膝がね」と笑っていた。その笑い方が、あまりにあっさりしていて、私はかえって何も言えなかった。
最後のグリーティングは、いつもと何ひとつ変わらなかった。前に来た子の足元を見て、膝をつき、指を包む。手を広げて驚き、両手で頬を包んでうれしさを出す。お客さんは、これが最後だなんて知らない。知らないまま、いつも通りの三十分が、いつも通りに過ぎていった。変わらないことが、彼女の最後の仕事だった。
三十分が終わって、彼女が控え室に戻ってきた。頭部を外す。その手つきが、いつもより、ずっと丁寧だった。ふだんは脱ぎ捨てるように外すのに、その日は両手で支えて、ゆっくりと持ち上げて、棚の上にそっと置いた。私はそれを、見ないふりをして見ていた。彼女はきっと、そのキャラクターの顔に、お別れを言っていたのだと思う。
同じころ、後輩が一人、入ってきていた。私は彼女に、所作を教える役を引き継いだ。鏡の前で、手を広げる角度、頬を包む両手の位置、膝のつき方を、ひとつずつ移していく。声のない芸だから、口では伝わらない。私が動いて見せて、彼女が真似る。同じキャラクターの動きが、別の身体に移っていく。それはどこか、不思議な作業だった。きっと、命のバトンのようなものなのだろう。
後輩の最初のグリーティングを、私は横で見ていた。膝のつき方は、まだ硬い。指を包む手も、少し強い。それでも、前に来た子は、ちゃんとうれしそうだった。子どもには、中の人が変わったことなんて、分からない。キャラクターは、今日も同じ顔で、同じように手を広げている。彼女が辞めたことを、世界は知らないままだ。
自分はあと何年できるのだろう、とは考えないようにしている。考えると、今日の動きが鈍るからだ。終わりを思いながらしゃがむと、膝がためらう。だから私は、今日の足元だけを見る。明日のことも、来年のことも、被り物の外に置いてくる。それが、長く続けるための、たったひとつの技術なのかもしれない。
お客さんの中には、気づく人がいるのかもしれない。動きが少し違う、と。けれど私は、いないと信じることにしている。キャラクターは永遠で、私たちは交代するのだ。中の人間は入れ替わり、けれどあの顔は、いつまでも同じ手を広げている。だから今日も、私は同じ動きをする。永遠のために、交代していく一人として。それはきっと、悪くないことなのだろう。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。