幟の、風
紺屋に入った年、止まった字より揺れる字を覚えるまで

コトウマヒル(48歳・旗と幟の染物職人26年)

布を染める仕事を二十六年続けている。風に揺れて初めて読める字を書く仕事だ。祭りの幟も、大漁旗も、開店の幟も、止まっているうちは半分しかできていない。風が通って、はためいて、そこでようやく文字になる。そういう布ばかり染めてきた。

二〇〇〇年、二十二歳のとき、私は町の紺屋に入った。糊と藍の匂いが静かに満ちる、古い工房だった。最初に教わったのは筒描きという技法だ。和紙を巻いた筒の先から糊を絞り出し、布の上に線を引いていく。糊を置いたところには染料が入らないから、染め上がるとそこだけ白い輪郭が残る。糊で防いで、白を描く。引き算で文字を描くようなものだったと思う。

糊置きは夜の仕事が多かった。糊の乾き具合が翌日の染めを決めるから、親方は天気ばかり気にしていた。湿気が多いと乾かない、乾きすぎるとひび割れる。私は筒を握る手の力加減を覚えるのに半年かかり、線の太さを一定にするのに、もう一年かかった。指の腹に糊の感触が残っていて、夜中に目が覚めても手が動いていることがあった。

大漁旗は別格だった。進水祝いや大漁を願って漁師に贈る旗で、色の決まりがある。波は群青、日の出は緋、鶴や鯛はとにかく豪快に。遠くの海の上ではためいても見えるように、中間色を使わない。はっきりした色を、ためらわずに置く。刷毛に染料を含ませて、濃淡を一息で挿していく。最初の一年、私はその豪快さがこわくて、どうしても刷毛が止まった。色は迷うと濁る、と親方は言った。

祭りの幟は何メートルもの長い布だった。床に伸ばすと工房をはみ出すほどで、私は梯子に登って筆を運んだ。上から下へ、墨を一気に下ろす。途中で止めると線が死ぬ。梯子の上で息を詰めて、足の裏で布までの距離をはかりながら腕を動かした。長い縦画を一本引くだけで背中が汗ばんだ。墨の濃さ、筆の含み、布の伸び。全部が合った日は、線が自分でも惚れ惚れするほどまっすぐに落ちた。

あるとき私は、一枚の幟の文字を、額に入れてもいいくらい整えて書いた。一画ごとに太さをそろえ、間隔をきっちり取った。我ながらよく書けたと思った。親方はそれを見て、こう言った。「幟は額に入れる字じゃない。風に揺れて読める字を書け。止まってる時の格好よさは半分でいい」。それから親方は、揺れたときに文字がどう崩れるか、太い画をどれだけ太くしておけば風の中でも残るか、字と字の間をどれだけ空ければはためいても潰れないか、そういうことを一つずつ教えてくれた。整っていることと、読めることは、違うのだと知った。

染めの最後は水元だった。昔は川で糊を洗い流したそうだが、私が入った頃には工房の大きな水槽になっていた。水の中で布を揺らすと、糊がふやけて落ち、白い輪郭がくっきりと現れる。染め上がりが本当に見えるのはこの瞬間で、私は何度やっても水槽の前で息を止めた。布が水の中で揺れる。糊が剥がれる。そこに、自分の挿した色が立ち上がってくる。水の中でも、布は揺れて完成するのだった。

納品先の祭りに行くことがある。自分の染めた幟が、参道に何本も立っている。風が来る。布がはためく。私の書いた字が、揺れて、たわんで、それでも遠くから読める。止まっているときより、揺れているときのほうが、字は確かに生きていた。あの日親方が言った「半分でいい」の意味が、風の中でやっとわかった気がした。それからの私は、布の前に立つたびに、まだ吹いていない風のことを考えるようになった。

あれから二十六年。糊を置き、色を挿し、水で洗い、納め、そして風の中で揺れる字を見届ける。その繰り返しの中で、私は止まった字ではなく、揺れる字の観察者になった。風に揺れて読める文字が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。工房の水槽は、今日も静かに水をたたえている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。