クマシロイツキ(30歳・遺跡発掘の作業員8年)
現地説明会のことを、私たちは現説と呼ぶ。埋め戻す前に、掘った現場を一日だけ一般に開ける日のことだ。普段は立入禁止のロープの内側に、その日だけは見学者が入ってくる。空には晴れやかな秋の青が広がり、現場には朝から、いつもとは違う種類の高揚が満ちていた。
受付の前に、もう列ができていた。開始は十時なのに、九時半には三十人ほどが並んでいる。中には常連の顔がある。現説マニアと呼ばれる人たちで、市の広報を隅々まで読み、近隣の現説をすべて回っている。彼らは私たちより、近隣の遺跡の編年に詳しいことさえある。「ここ、隣の調査区とは別の集落ですよね」。並びながらそう訊いてくる人に、私はうまく答えられなかった。
説明板は、手作りだ。前の晩、事務所で発泡スチロールのパネルに図面を貼り、マジックで見出しを書いた。「竪穴住居跡 SH01」「奈良時代」。プリンタの調子が悪く、図の一部がかすれたのを、定規を当てて手で描き足した。立派な博物館の展示とは違う。けれど、掘った本人の字で書いてあるという、それだけのことが、なぜか見学者には喜ばれるのだった。
展示台に、その日のために選んだ遺物を並べる。選ぶのは、見栄えのするものだ。文様の美しい須恵器の坏、完形に近い土師器の甕。けれど、本当に大事なのは、台に乗らなかったほうの遺物だったりする。すり減った砥石のかけら、煤けた竈の縁。学術的な価値と、見て楽しい値打ちは、別なのだ。私はそのことを、台の前で説明したかったが、うまく言葉にならなかった。
子どもが、土器のかけらを指して訊いた。「これ、何年前?」。千二百年、と言っても、子どもには伝わらない。私はしゃがんで、こう言ってみた。「きみのおじいちゃんの、そのまたおじいちゃんの……を、三十回くらいさかのぼると、これを使ってた人がいるんだ」。子どもは指を折りはじめた。一、二、三、と数えて、五くらいで分からなくなって、笑った。千年という時間は、数字では遠すぎる。体で数えると、少しだけ近づく。
説明をしていて、一番多い質問は「何か出ましたか?」だ。そして、一番答えにくいのも、この質問だ。見学者の言う「何か」は、金色の冠や、壺いっぱいの銅銭を指している。けれど、この現場の一番の発見は、地面に並んだ柱穴の列だった。直径三十センチの、土の色が違うだけの丸い染み。それが等間隔に並んでいることが、ここに掘立柱の建物が建っていた証拠になる。でも、穴は「何か」には見えない。私は柱穴の前で、「これがいちばんの成果なんです」と言って、たいてい、相手の戸惑った顔を見ることになる。
現説は、雨天決行だ。前の現場では、朝から小雨だった。それでも常連は来る。ブルーシートで遺構を覆い、見学者には傘をさしてもらって、私はシートの端をめくりながら説明した。雨の日の見学者は、不思議と熱心だ。足元の悪い中をわざわざ来た人たちの目は、晴れの日より真剣に見えた。雨は、本気の人だけをふるいにかけるのかもしれない。
午後三時、現説が終わる。最後の見学者を見送って、私はロープを片付けはじめた。杭を抜き、ロープを巻き取り、説明板を外す。展示台の遺物を、一つずつコンテナに戻す。さっきまで人の声で賑わっていた現場が、夕方の光の中で、また静かな土に戻っていく。明日からは、また埋め戻しの準備だ。一日だけ開いた現場は、明日にはまた、誰も入れない場所になる。
柱穴は、何かには見えない。けれど、柱穴こそが、この集落の発見なのだ。見栄えのする土器ではなく、土の色の違う丸い染みの列こそが、ここに人が暮らしていたことを語っている。一日だけ現場を開けて、私はそれを伝えようとして、うまく伝えられなかった。それでも、現説はやる。何か出ましたか、と訊かれて、柱の穴です、と答えるために。私は次の現場で、また移植ごてを寝かせる。手首だけで、紙一枚ずつ。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。