クマシロイツキ(30歳・遺跡発掘の作業員8年)
道具箱には移植ごてとガリ、それに刷毛が何本か入っている。移植ごてとガリは土を削るための道具、刷毛は土を払うための道具だ。削るときと払うときで手が変わる。この持ち替えのタイミングを体で覚えるのに、ずいぶん時間がかかった。千年の時を超えた人々の暮らしに触れる、と言えば聞こえはいいが、実際にやっているのは、ただ土の色を見ることである。
発掘というと、宝物を探していると思われがちだ。けれど発掘の多くは、開発工事の前の記録調査である。マンションが建つ前に、ビルが建つ前に、その土地の千年分を掘って記録する。記録保存、という言葉がある。掘って、測って、写真を撮って、図面を引いて、そして遺跡そのものは壊される。記録だけが残り、現物は失われる。最初にこの言葉を聞いたとき、なんとも言えない気持ちになったのを覚えている。
二〇一八年、二十二歳の春に、発掘調査会社の作業員になった。最初の現場は、住宅地の一角だった。地面にロープで区画が張られ、その中に入って、移植ごてを渡された。私は当然のように、地面に穴を掘ろうとした。すると、現場を仕切っている年配の調査員に止められた。「掘るな、下げろ。土を面で下げていくんだ」。
意味がわからなかった。穴を掘るのではなく、地層を一枚ずつ剥がしていくのだという。区画の床全体を、同じ高さで、薄く薄く削る。穴を掘れば、土がどの順番で積もったかがわからなくなる。面で下げれば、上から順に時代を剥がしていける。地面は本のようなもので、ページを破ってはいけない、めくるのだ、と教わった。なるほど、と思った。
移植ごてを寝かせて、面を削る。削った土はちりとりに集めて、土嚢袋へ。これを何時間も続ける。退屈と言えば退屈な作業だ。けれど、ある瞬間、土の色が変わる。それまで茶色だった面に、黒っぽい帯が現れる。そこで手を止める。色が変わるということは、時代が変わるということだ。違う色には、違う道具を当て、違う番号を振る。土の色の変わり目を見落とさないこと。それが作業員の最初の仕事だった。
その日の午後、私の移植ごての先が、何か硬いものに触れた。土とは違う手応え。私は移植ごてを置いて、刷毛に持ち替えた。これも教わった通りだ。遺物が出たら、削るのをやめて、払う。刷毛の毛先で、ゆっくり土を払っていくと、灰色の、ざらりとした面が見えてきた。土器のかけらだった。手のひらに乗るくらいの、縁の部分。千年、誰の目にも触れずにそこにあったものが、私の刷毛の速度で、もう一度、光の下に出てきた。心臓が鳴った。
けれど、こういう日はむしろ珍しい。出ない日のほうが、ずっと多い。一日中、面を下げて、土の色だけを見て、何も出ずに終わる。それが普通だ。テレビに映るのは、土器が出る瞬間ばかりだが、現場の時間の大半は、何も出ない土を、ただ平らに削り続ける時間でできている。出ないことに耐えられない人は、この仕事を続けられない。出ないことが、normalなのだ。
遺物が出れば、取り上げ番号を振り、出土した位置を実測図に落とす。掘ることより、記録することのほうが仕事の本体だ。どれだけ丁寧に掘っても、記録がなければ、それはただ土をいじっただけになる。そして調査が終われば、現場には埋め戻しの日が来る。私たちが何ヶ月もかけて剥がした地層は、ふたたび埋められ、その上にマンションが建つ。残るのは、図面と写真と、取り上げた遺物だけだ。
あれから八年、私はずっと、土の色を見る仕事を続けている。掘るのではなく、下げる。穴を開けるのではなく、ページをめくる。最初の現場で言われたあの一言が、私を土の色の観察者にしてくれた。移植ごてと刷毛の持ち替えは、いまでは考えるより先に手が動く。千年の時の重みを、私はこの手の速度で、毎日少しずつ確かめている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。