クメアスカ(30歳・写真館スタッフ8年)
成人式の前撮りは、たいてい式の数か月前の、よく晴れた平日に行われる。窓の外には穏やかな日差しが差し込んでいて、撮影室には振袖の絹のかすかな衣ずれの音が満ちていた。本人は朝からずっと緊張しているのだけれど、不思議なもので、いちばん涙腺が緩むのは、本人ではなくて、母親と祖母のほうなのだった。
着付けとヘアメイクで二時間、撮影そのものは三十分。この比率は、たぶん多くの方が想像するより、ずっと前半に偏っている。振袖の柄にも流行があって、昔は古典柄の小さな花が多かったけれど、最近は大きな花を大胆に配したものや、くすんだ色味のものが増えた、ような気がする。私はその柄を見て、ああ今年はこういう感じなのだな、と思う。
草履は、ふだん履き慣れていない。だから撮影で立ってもらうとき、本人は重心の置き場所がわからずに、少しふらつく。私はその足元のそばに身をかがめて、爪先の向きを指で示し、ここに体重を、と小声で伝える。畳の縁に親指の付け根がかかるくらいの位置に立ってもらうと、振袖の裾の流れがいちばんきれいに出る。八年やって覚えた、足ひとつぶんの位置だ。
待合の長椅子には、たいてい母親と祖母が並んで座っている。そして撮影室をのぞきながら、小声で何かを言い合っている。「あの子、こんなに大きくなって」と母親が言うと、祖母が「あなたのときもこうだった」と返す。母親は、二十年前にもこの写真館で振袖を撮ったのだ、と私に教えてくれた。本当だろうか、と思ってアルバムの古い台紙を繰ってみると、確かに同じ店の名前が、同じ書体で刷られていた。時の流れというのは、こういうところに静かに積もっているのだなと、私はしみじみ思った。
ヘアメイクの担当が最後の毛筋を整え、いよいよ撮影が始まる。本人がレンズの前に立つと、母親と祖母の声がぴたりと止む。シャッターが落ちる前の、あの数十秒。本人はまだ少し硬い。けれど、待合のほうから母親の小さな鼻をすする音が聞こえると、本人の肩がふっとゆるんで、自然な表情になる。笑顔というのは、やはり誰かの感情から始まるのだなと、私はあらためて感じた。
納品は、昔はプリントが当たり前だった。けれど今は、データ納品の比率がずいぶん増えた。台紙に貼った一枚を仏壇の脇に飾る家は減って、スマートフォンの画面で何度も見返す家が増えたのだろう。プリントとデータ、どちらを選びますか、と訊くと、たいてい母親が少し考えてから、「両方で」と答える。残したいものは、形にもしておきたいのだと思う。
撮影が終わるころ、私はいつも、スタジオの隅にいる父親の存在に気づく。父親は、ここまでほとんど役割がない。着付けにもヘアメイクにも口を出さず、ただ長椅子の端のほうに座って、スマートフォンをいじったり、所在なげに壁の額の写真を眺めたりしている。家族のなかで、いちばん静かにしている。
けれど店主は、最後にきまって一枚だけ、「お父様もご一緒に」と声をかける。そのタイミングが絶妙で、父親は一瞬きょとんとしてから、慌てて立ち上がり、娘の隣に並ぶ。家族写真の最後の一枚。考えてみれば、次にこの家族が写真館に来るのは、たぶん誰かの結婚式のときだ。だから前撮りは、その家族が全員そろう、最後の集合写真なのだ。父親の役割のなさも、母と祖母の涙も、すべてはその一枚のためにあったのだと、私はようやく腑に落ちた。撮影室のレフ板は、今日も誰かの素顔のために、白い面をこちらに向けて立てかけてある。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。