笑ってください、と言わない写真館(第二稿)
写真館一年目、シャッターの前の数十秒を覚えると決めるまで

クメアスカ(30歳・写真館スタッフ8年)

写真館で働いて八年になる。お宮参り、七五三、入学、成人、結婚、それから遺影。人生のうち写真館に来る日は数えるほどしかなくて、その日の、シャッターが落ちる前の数十秒に、人は素顔を出す。私はその数十秒を覚えている。撮った写真より、撮る前の顔を覚えている。

二十二歳で入った年の、十一月の撮影室を覚えている。発光する前のストロボはただの白い傘で、室内を照らしているのはモデリングライトの鈍いオレンジだった。私はレフ板を、どの角度で返せば顎の下の影が消えるのかも知らずに、ただ持たされて立っていた。

七五三の、三歳の女の子だった。慣れない着物の袂を引っぱられ、知らない大人に囲まれ、レンズという黒い丸を向けられて、口が一文字に結ばれていた。後ろから母親が「ほら、笑って」と言うほど、子どもの顔はかたくなっていった。店主は、その子に一度も「笑ってください」と言わなかった。

店主がしたのは、子どもではなく、斜め後ろに立つ母親のほうへ顔を寄せて、何かを小声で言うことだった。聞こえなかった。ただ母親がふっと笑った。肩が落ちて、本当におかしそうに笑った。子どもの目がレンズの真上のぬいぐるみを一瞬だけ追い、すぐ母親に戻った。母が笑っている、と確かめて、その子は釣られて笑った。店主に笑わされたのではなく、母の笑顔に笑った。その瞬間、シャッターが一度だけ鳴り、ストロボが光った。

あとで店主は言った。「笑顔は注文するものじゃない。発生させるものだ」。注文した笑顔は口角だけが上がり、発生した笑顔は目から動く。レンズはその違いを写してしまう。だから店主は子どもに命令せず、子どもがいちばん安心する人を笑わせた。私はその一言を、今でもそらで言える。

それから八年、私はシャッターの前の数十秒を見る係になった。証明写真の人は無表情の作法を知っている。口を閉じ、顎を引き、目だけまっすぐにする。顔の縦の比率が規格に収まるよう椅子を二センチ上げると、その人は社会に出すための自分を、最後の一秒で自分で組み立て直す。私はその組み立てが終わる瞬間に切る。

遺影は難しい。笑いすぎても困るし、かたすぎても困る。「元気なうちに」と来た方に、データ納品か、四ツ切のプリントか、何年もつ印画紙にするかを選んでもらう。段取りの言葉を交わしている間、その人の顔から撮影用の構えが落ちて、ふだんの顔が戻る。私が覚えているのは、たいていその、構えが落ちたあとの数十秒のほうだ。

あの十一月の日、店主が母親に何を囁いたのか、私は今も知らない。知らないままでいい。覚えているのは、笑いが母から子へ移った順番と、そのときストロボが光った一度きりの音だ。私は今も、誰の笑顔から始まるのかを見ている。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。