納品の、座敷
数か月ぶりに家へ帰る仏壇を、もとの仏間に据える日

クラタジュンジ(57歳・仏壇修復師35年)

納品の朝は、いつもより念入りにトラックの荷台を見る。数か月ぶりに家へ帰る仏壇を、傷ひとつなく送り届けるのが、修復師の最後の仕事だ。荷台に毛布を敷き、養生を巻いた仏壇を寝かせ、私は窓の外を流れていく景色を見ながら、これでこの仏壇とも別れなのだと、少し感傷的な気持ちになる。

家に着くと、まず運び込みの段取りを考える。仏壇は背が高い。玄関の鴨居をくぐれない家も多いから、その場合は縁側の窓を外して入れる。廊下に古い簞笥が出ていれば、先にどかしてもらう。角だ。家の中の角は、外より怖い。直角に曲がる廊下で、養生した仏壇の天を擦れば、せっかく押した金箔がそこだけ剥げる。私は人の家の壁の角を、自分の指の関節のように覚えながら通す。

仏間に入れたら、組み立てだ。数か月前、私はこの仏壇を分解して工房へ運んだ。柱を抜き、欄間を外し、宮殿の屋根をばらした。外した部品には麻紐に「右脇・上段・三」と札を下げてある。組み立ては、その分解の逆をたどる。札の番付を一つずつ読み、寸法の合う柱を探し、抜いた順の逆で挿す。分解のとき大きく書いた字が、いま答え合わせになって戻ってくる。札の通りに挿していけば、似た寸法の柱でも迷わない。

組みながら、仏間の床に気づくことがある。仏壇が据わっていた場所だけ、畳や床板の色が違う。数か月の日に焼けず、人の足にも擦られず、そこだけ古い色のまま残っている。家の人は、この空いた仏間を、毎日掃除して待っていたのだろう。仏壇のなかった数か月、この家の祈りはどこへ向かっていたのだろうと、ふと思う。家族の絆というものは、こういう空白のなかでこそ確かめられるのかもしれない。

組み上がっても、私はご本尊と位牌には手を触れない。ここから先は、家の人の領分だ。「お戻しください」と私は言い、ご当主が自分の手で、ご本尊を須弥壇の上段へ、位牌を脇の段へ戻していく。仏壇を直すのは職人だが、仏を戻すのは家の人でなければならない。三十五年、私はこの線を一度も越えたことがない。職人が触れてよいのは、あくまで木と漆と金箔まで。そこに宿るものは、私の領分ではないのだ。

戻し終えると、家の人がしばらく仏壇の前に座る。たいてい、誰かが「明るくなった」と言う。煤で真っ黒だった内側が、金箔の光を取り戻しているのだから、当たり前といえば当たり前だ。だが私は、その一言を大きく受け取らない。「さようですか」とだけ返して、道具をしまう。驚きや感動を職人が一緒になって喜んでしまうと、仕事が安くなる。私は手を動かした分だけを置いて、引く。

最後に二つ、口で伝えることがある。一つは、お性根入れのこと。修復で抜いていただいた魂を、もう一度入れていただくのは、お寺さんの仕事だ。私の領分はここまでで、この先はご住職に引き継いでください、と頭を下げる。もう一つは、請求書だ。数か月の手間に値段をつけた紙を、私は世間話の続きのように、さりげなく差し出す。仕事の値段は、誇るものでも、恥じるものでもない。ただの紙だ。

帰りのトラックの荷台は、空いている。来るときは仏壇でいっぱいだった荷台に、巻き終わった毛布と養生材だけが転がっている。その空いた荷台を一度振り返ってから、私は運転席に乗る。納品までが、修復なのだ。直して、運んで、据えて、線を引いて、引いてくる。そこまでをやり遂げて、ようやく一台の仕事が終わる。空の荷台は、そのことを静かに教えてくれる。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。